「匿名経済」から「顕名経済」へ 消費者の“顔が見える”新たなる市場に向けて
昨今のソーシャルメディアの発展によって、消費者だけでなく、企業の積極的な参加が当然の世の中になっています。ソーシャルメディアを介してコミュニケーションが発生したことで、消費者と企業の関係にも日々さまざまな変化が起こっています。
このように、私たちを取り巻く状況は大きく変化している一方で、変化していないことも存在します。いったい何が変わり、何が変わっていないのでしょうか。
「創発現象」とは何か。
武田隆(以下、武田) 今回は、慶應義塾大学 総合政策学部教授の國領二郎先生をお迎えしています。「コラボレーション」は最近よく耳にする言葉ですが、いったいどういったものなのか? 私は國領先生の『創発経営のプラットフォーム』を読んで、コラボレーションという現象を構造的に理解することができました。
國領二郎(以下、國領) コラボレーションは今の時代に不可欠なテーマです。『創発経営のプラットフォーム』はSFCの「プラットフォームデザインラボ」に所属する研究者が個別に行っていた研究に、一本の横串を通すため編集した本です。本のテーマとして、プラットフォーム上でいったい何が起こっているのか考えたところ、やはり「創発現象」が起こっていると捉えるのが一番いいということになったんです。
武田 「創発」についてもう少し詳しく教えてください。
國領 『創発経営のプラットフォーム』でも書きましたが、創発とは、「多くの要因や多様な主体が絡まり合いながら、相互に影響し合っているうちに、ある時にエネルギーの向き方が一定方向にそろって、当初は思いもよらなかった結果がポンと現出する」という現象です。
武田 みんなが集まってワイワイやっているうちに、それまで思いつかなかったアイデアが生まれることがあるということですね。
國領 そうです。そもそも「創発」という言葉は、“emergent(立ち現れる、出現する)”の名詞形“emergence”という単語がもとになっています。
武田 例えば、ある晴れた日に3人が集まって、このあとの午後の時間をどう素敵に過ごすかについて議論しているとします。ひとりが「今日はいい天気だねー」と言って、もうひとりが「どこかオープンカフェに行かないか?」と提案し、最後のひとりが「そうだ。近くのお寺で境内をカフェにしていると聞いたから、そこに行ってみないか?」と言い、「それはおもしろそうだ」とみんなで行ってみたところ、とても楽しい時間を過ごせた。これも……。
國領 はい。日常に見られる創発現象です。
武田 このとき、この素敵な午後は、誰のアイデアのおかげか? 「いい天気」だと状況を分析した人、「オープンカフェ」という方向を示した人、「境内のカフェ」という具体を提案した人、またそのアイデアに賛同を示した誰か……。
國領 そう。創発によるアウトプットは、誰かひとりに還元することは難しいのです。
武田 参加者の総和を超えたものになるんですね。
國領 そうです。創発的に生まれた現象は、単なる足し算ではなく新しい価値が生まれる。しかし、ここはけっこう難しい部分でもあります。会社でも、会議である企画が生まれたとき、誰の手柄か明確にしにくいですよね。
武田 はい。会議で生まれたアイデアについて、参加者が「これは自分が言ったことだ」と主張し始めると、みるみる場のコラボレーションのレベルが落ちていく。それは実感としてあります。私たちの会社でも「アイデアの所有をやめよう!」とお互いに声をかけ合っています。
國領 ネット上でも人が集まってわいわいやっているうちに、何かができあがることがあります。それがいったい誰のものなのかというのは、難しいけれどおもしろい議論です。
情報の「見える化」によって「創発」が誘発される
武田 先生は『ソーシャルな資本主義』というご著書のなかで、情報の見える化が進むと創発が起こりやすくなるとおっしゃっていました。それはなぜなのでしょうか。
國領 まず、「見える化」と「創発」の前に、「つながる」が存在するんです。そしてそのつながりを支えるのが情報技術(IT)です。たとえば、Aさんの位置情報とその周辺のおいしいレストランの情報がつながると、地図上にマッピング、つまり見える化できるようになります。この事例は「創発が起こる」というほどのものではありませんが、見える化によって新しい価値が生まれるということです。
武田 つながることで見える化が進むわけですね。現在、見える化が進んでいるということは、以前は見えなかったものがあるということですよね。
國領 見えないことを前提としていた、というべきでしょうか。19世紀後半のアメリカでは、鉄道網が敷かれ広い国土がつながり始めます。そうなると、生産する場所と消費する場所が離れていても平気になる。産業や流通の発展によって、見えないのが当然の社会になっていきます。交通が未整備で、物を運ぶ能力が限られていた時代は、物のやりとりがすべて近所で行われていました。だから、自分が普段飲んでいるお茶の茶葉がどこから来たのか、ということもわかっていた。しかし産業革命で大量生産が可能になり、鉄道網が敷かれ、購買エリアが飛躍的に拡大すると……。
武田 大量生産・大量消費の時代がやってきたわけですね。
國領 そうです。顧客は顔の見える少数から、どこの誰だかわからない遠くにいる多数になります。
武田 鉄道網による流通の拡大、大量生産を可能にする技術発展、ブロードキャスティングの普及という流れのなかで、生産者と消費者の距離が遠くなって、見えないのが当然になってしまうというわけですね。
読み進んだ「ページまでが把握されている電子書籍。匿名経済から顕名経済へ
國領 普段ペットボトルのお茶を飲むとき、「この茶葉はいったいどこの誰が生産したんだ?」なんて考えませんよね。
武田 スーパーマーケットで買うときも、誰が生産したのかということは考えずに買いますね。
國領 考えずに買えるのは、ラベルに貼ってある企業や商品のブランドを信用しているからです。それが日常になるくらい浸透しているという状態は、ここ150年くらいでつくられたものです。
武田 経済学者の岩井克人先生なら[市場が拡張された]150年とおっしゃるかもしれません。
國領 まさに市場が拡張するとともに、消費者の匿名化が進んでいきました。それは、ある意味でどんな人でも区別されることなく買える自由な市場とのセットだったのだと思います。お金さえ払えば、どんな人でも顧客になれるわけですから。ところがIT技術の進展により、この顔の見えない「匿名経済」が、だんだんと顔の見える「顕名経済」になっていくのではないかというのが私の考えです。
武田 それが『ソーシャルな資本主義』に書かれている、分断されていた近代の匿名経済からつながる未来の顕名経済へということでしょうか。
國領 はい。その間にもいろいろな中間形態があり続けるので、そこまで単純な二項対立ではないと思いますけど、大きなトレンドとしてはそうです。
武田 では「顕名経済」というのは、具体的にはどのような市場なのでしょうか。
國領 書籍で考えるとわかりやすいでしょう。書籍が一番劇的に変わるかもしれません。今まで、書店の本は誰が買ったかわかりませんでしたよね。でも、アマゾンのKindleでダウンロードされた電子書籍は、誰が買っていったのか明確にわかります。それどころか、何ページ目まで読んでいるかさえも。
武田 えっ、そうなんですか?
國領 iPadで読んでいた書籍を、iPhoneのキンドルアプリで読もうとすると、続きから始まるでしょう。それはプラットフォームに何ページまで読んだか、配信され記録されているからです。
武田 プラットフォーム側は、誰が今、どの本のどんなところを読んでいるかわかるわけですね。
國領 そうです。それらをつなぎ合わせることを想像すれば、さまざまな創発が生まれる予感が得られるでしょう。さまざまなサービスも考えられると思います。
武田 「消費者コミュニティ」の現場でも、顧客の見える化が起こっています。企業がプラットフォーム側になることで、顧客どうし1人ひとりをつなぎ、また、相互にインタラクションが生じるようなネットワークを育てます。そのとき企業は、今までのように川上から川下へと情報や商品を流すという存在から、消費者の輪の中に入って、消費者とインタラクションをしながら共に創るパートナーへと変わっていきます。そういったケースを多く見てきました。
國領 そうでしょうね。顧客の顔が見えるようになるにしたがって、市場も企業も、階層的なピラミッドから、水平的なネットワークに移行していくのだろうと思います。
武田 インターネットはもともと、ソビエト連邦からの核攻撃によって情報管理システムが致命的なダメージを受けることを想定したアメリカ空軍が、ひとつの巨大なコンピュータで全体を支配するのではなく、独立したコンピュータを小分けにし国土全体に分散させ、相互を網の目のように結びつけて、蜘蛛の巣状のネットワークを作れば、全土が核攻撃に晒されないかぎり全滅は免れるという構想から生まれています。そう考えると、インターネットによるイノベーションが、水平的でフラットなネットワークに向かうのも必然のように思います。
プラットフォーム上にある顧客の”顔が見える”データがつながれば、近代の匿名的なサービスが大きく進化するだろう。
今、インターネットは本当にフラットな世界なのか
國領 たしかにフラットになりうる時代にはなっていますが、本当にインターネットの世界がフラットになってきているのかは疑問です。たとえば、ネットというものがこんなに愛国主義的になるとは考えられていませんでしたよね(笑)?
武田 そうですね……。
國領 出てきた当初は、「インターネットは国境を越える」と言われていましたが……。
武田 越えた部分もありますけど、そうじゃない部分もたしかにありますね。私は事業家として、世の中がもっとフラットになって、つながり合い、創発するようなコ・クリエーション(共創)のプラットフォームを作っていきたいと思います。先生ももっとフラットになるべきだと思われますか?
國領 どうでしょうか……私は学者ですので(笑)。
武田 と、申しますと?
國領 どちらが良い、どちらが悪いというよりも、ニュートラルな立場です。
武田 それでは、個人としてはいかがですか?
國領 さて、どうでしょうね……(笑)。
これからのビジネスモデルは「所有」から「共用」へ
武田隆(以下、武田) 國領先生のご著書『ソーシャルな資本主義』の中では、ソーシャルメディアの登場によって、情報が媒介となってヒトやモノがつながり、経済社会も大きく変化すると書かれています。「情報が切れていた近代」と「つながる未来」とでは、ビジネスモデルそのものも大きく変わっていくのでしょうか。
國領二郎(以下、國領) はい。まず、近代では経済がどのようにまわっていたのかを整理してみましょう。情報が切れていると、お客さんのその先を追いかけることができませんよね。ですから、お金をもらったら関係も終わってしまいます。これが成り立つのは商品のすべての権利を「所有権」というかたちで集約して、渡すということが前提だったからです。どう処分するかも含めたさまざまな権利を「所有権」というものに集約し、対価と交換したらもう関係は終わりというのが、近代の経済の基本でした。
武田 近代は、村社会的な人間関係を貨幣のやりとりに転換していったわけですね。たとえば「焼きそばが食べたい」と思ったとき、物々交換の世界では、豚肉をつくっている人に直接会わなければなりません。その人が欲しているものを自分が持っていないと物々交換は成立しないし、また、その豚肉の所有者との関係が良好でなければ交換してくれないかもしれない。小麦にしても同様ですし、特濃ソースに至ってはかなり多くの人々との複雑な交渉が要求されます。一皿の焼きそばができあがるまでに、相当ドラマチックなコミュニケーションが必要になります。
対して貨幣経済では、特別な人間関係に依存する制限もなく、ほしいときにほしいものを買うという行為が可能です。豚肉をつくっている人に会えなくても、特濃ソースを手に入れるために複雑な交渉をしなくても、コンビニに行けば数百円で「焼きそば」を手に入れることができます。
経済学者の岩井克人先生が、物々交換の時代は信用している人にしか譲れなかったけれど、貨幣の誕生でマーケットができたことにより、お金さえ渡せば自由な取引ができるようになったというお話をされていましたが、所有権を売買できるようにした反面、人と人との関係性は希薄になっていった、ということですね。
國領 そうです。情報システムとしても、それが効率的だったんですね。
ところが、時代が変わり、つながるようになってくると以前では機能していたものが機能しなくなる。たとえば、不動産の権利は所有権や借地権など、いまだにややこしい権利関係がありますよね。そして今、テレビドラマなどのコンテンツが、そういった時代にそぐわない状況になっています。
武田 版権の問題でしょうか?
國領 はい。ネット配信などをするとき、出演者のひとりがNGを出すともう不可能なんです。商品の権利が複雑な入れ子構造になってしまっている。この解決は、所有権の考え方から抜け出さないと難しいでしょう。
武田 以前、この連載に出てくださった松岡正剛さんが、ヨーロッパでは公と私の間に「共」という概念があるという話をされていました。「所有」と対になるのは、やはり「共有」なのでしょうか?
國領 「共」は重要な概念です。いま、いろいろなかたちで中古市場が発達してきていますよね。ひとつの製品がつくられてから壊れるまでの間に使う人の数が結果的に増えれば、所有とは切り離して考えられる。会員の間で特定の自動車を共同利用する「カーシェアリング」ってありますよね。あれは、所有権がはっきりしているんですよ。
武田 カーシェアリング事業者の持ち物ですよね?
國領 そう。それをいろいろな人が借りる。レンタカーと似ていますが、あらかじめ登録した会員だけが借りられることや短時間の利用時間単位が設定されていることが違います。
武田 カーシェアリング事業者が所有しているものを、会員が共有しているわけですね。
國領 ややこしいですが、そうです(笑)。本で言うと、ブックオフなどの業態が進出したため、新古書店で買った本を読んですぐ売るということもできますよね。
所有権移転のモデルはいろいろあって、結果としてたくさんの人が共同で利用しているということが起こっている。なので「共有」ではなく「共用」と考えたほうがわかりやすいのかな、と思います。排他的利用権、他の人には使わせないのかどうかというところで、「有」より「用」と言ったほうが今日的ではあります。まあ、強いて言えば、くらいの違いですが……。
武田 「共用」をベースとしたビジネスモデルというのは、他にどういうことが考えられるでしょうか。
國領 ネット上の音楽配信のようなものは、無理やりそれぞれのコピーに所有権を付与していますが、現実にはひとつの音源をみんなで使いまわしていますよね。それも共用のひとつのかたちでしょう。
「所有」の対価から「共用」の対価へ支払いの意味が大きく変わる
國領 私たちが当たり前だと思っていることが、これからも当たり前であり続けるのかは、考え直したほうがいいですね。書籍のビジネスモデルも変わってくるでしょう。いま、電子書籍は、読もうが読むまいがダウンロードしたときにお金を取られますが、プラットフォームはどこまで読んだのか把握しているので、読み終わった瞬間に課金することだって可能なわけです。現状の書籍は、コピーという塊にして、それを販売するという形式しかない。これは、所有権を渡すという近代のモデルに無理やり押し込んでいる、とも考えられます。
武田 私たちはずっと近代を生きてきたので、急に考え方を転換するのはなかなか難しいのかもしれません。
國領 そうですね。でも、音楽配信なんかも、途中から定額制が増えましたよね。インターネットの回線だって、定額でつなぎ放題になった。みんな、いろんなものの定額制に慣れてきていると思うんです。
武田 最近では、NTTドコモが国内通話料金の完全定額制を発表しましたし、動画配信サービスのHuluも月額1000円程度で見放題です。
國領 おそらくHuluは会員から集めた1000円のプールを、コンテンツの提供者に、どれだけアクセスされたかの集計によって配分しているのでしょう。カラオケが最初にやったモデルですけどね。こういう定額制のモデルって、実はかなり昔からあったんですよ。地中海クラブって知ってます?
武田 いえ、知らないです。
國領 国際的なバカンス・サービス会社で、旅行代金を払ったら、地中海クラブに所属するリゾート施設に滞在している間の食事やアクティビティが、すべてタダなんです。食べ放題、遊び放題です。ディズニーランドのパスポートもそうですよね。パスポートがあれば、アトラクションは乗り放題です。これはすべて、メンバー制にしなければ成立しなかった。あるいは、ディズニーランドみたいに閉じた空間でやるかです。
武田 今は、スマートフォンやICカードなどを使ってIDを管理することで、どこでもある種の閉じた空間を作ることができますね。
國領 そう。スマートフォンやICカードを持っていれば、加盟店でどこでも食べ放題みたいなことができる。定額制が広がっているということと、共用モデルが広がっているということは、ニアリーイコールです。
武田 「共」のモデルには定額制が合うんですね。
國領 はい。でもこれって、基本的に欠乏から解放されている世界の話だと思うんですよね。飢えているときに、食べ物を分けることはできないでしょう。
武田 そうですね……自分の命がかかっていますし、一度食べてしまうと共用できないですしね。先ほど出てきた「共有」の“有”という漢字は、月の部分が肉で、右手がそれを持っている様子を表した象形文字から成り立っているそうです。ひとつの肉をみんなで持とうとすれば、誰も食べられないまま、腐ってしまうこともありえます。
國領 カーシェアリングだって、命にかかわるような状況で移動手段が必要なときは車を貸せませんよね。所有者は「自分のものだ」と囲いたがるでしょう。なので、共用モデルが広がっているのは、時代背景によるものだと思います。
わがままな人が社会を助けている?フリーミアムのビジネス構造
武田 5年くらい前からよく言われるようになった「フリーミアム」のビジネスモデルも、共用の延長線上にあるのでしょうか。
國領 それもありますし、すべてのものに所有権を付与して対価をもらうより、無料で提供したほうが創発的な価値が生まれるという側面もあります。
武田 ここで「創発」がまた登場するんですね。
國領 あまりによく言われている例ですが、代表的なのはGoogleの検索エンジンでしょう。タダで検索してもらうことで、膨大なログが集積する。そして、その集積した情報が価値を生み始めています。
武田 検索の結果に合わせて広告を出す検索連動型広告も、多くの検索者がいないと成り立ちませんからね。
國領 あるものをフリーで提供することによって生まれる創発的な価値を、別のビジネスモデルで回収する。こういったビジネスが成り立ちつつあります。でもこれも、考えようによっては昔からあるんですよ。渋谷がその例です。
武田 渋谷、ですか。
國領 渋谷は1960年代から80年代にかけて西武グループが西武百貨店をオープンさせ、パルコ、ロフトと商業施設をつくって大改造することで、不動産価値が高くない地域をおしゃれで人が集まる街にしていきました。でも、商業施設で入場料はとっていないですよね。不動産開発をする人は、昔からそういう感覚でやっていたんだと思います。
武田 どこをフリーにして、どこで回収するかというわけですね。フリーミアムのなかには、プレミアムな有料サービスを設け、そこで集まったお金によって無料のサービスを運営するというモデルもあります。これは、飛行機のファーストクラスとエコノミークラスの料金が違うということと一緒でしょうか。ファーストクラスに乗る人が、より質の高いサービスと引き換えに高い金額を支払うことによって、エコノミークラスの人が安価な金額で乗ることができるわけですよね。
國領 それはいい例ですね。プレミアムなサービスにお金を払う人がある程度いると、他の人たちがすごく安く使えるという現象が起こります。私は「わがままの社会的効用」と言っています。わがままな人は、実は世の中の役に立っているんです。
武田 どういうことでしょうか?
國領 わがままな人が、どうしても使いたいものがあって、それをいざというときに使えるような権利を持っているとします。すると、それが空いているときは、他の人にすごく安い値段で使わせることもできる。たとえば、多額のお金を払って特別な人が使える医療施設があったとして、その人が使っていないときはお金を払えない人も使っていい、ということにするとか。
武田 で、いざというときは有料会員に使う権利があるわけですね。それは、どちらにとってもハッピーです。
國領 今後さらにフリーミアムが広まるのか、廃れるのか、展開が楽しみです。
これからは「所有権」を売り買いするより、「共」のモデルを用いた創発的価値を生む仕組みが求められる。
政治家のツイートは「炎上」させたほうが良い!?
國領二郎(以下、國領) インターネットによって情報の流通が自由になればなるほど、すべてがフラット化していくかというと、実はそうでもないですよね。グループが形成され、バイアスが逆に増幅されていくような現象が起こっているんです。
武田隆(以下、武田) さまざまな情報がまんべんなく入ってくるのではなく、偏った情報ばかりがまわりに溢れ、偏りが助長されるような状態ですね。
國領 はい。私の研究室の修士課程の学生が、いろいろな政治家を取り巻くツイッターのタイムラインがどうなっているのか、メンションとリツイートの関係から分析したんです。つまり、それぞれの政治家がツイッター上で何をよく見ているのか、ということを明らかにしようとした。
武田 政治家が見ている世界は、その政治家自身の政策に色濃く反映されるはず、というわけですか?
國領 それも、ひとつの仮説ですね。でもその研究で出てきたのは、「炎上させたほうがいい」という仮説なんです。
武田 それは興味深いですね。一般的に考えて炎上は、できれば避けたいものですが……。
國領 研究の中で、世論の意見の分布に近い情報を得ている政治家と、そうでない政治家がいるのではないかという説が出てきました。おもしろいのは、たとえば、ある政策に対する賛成意見だけ、つまり偏りのある情報がまわりに溢れていると思われる政治家って、わりとソフトタッチのあたりさわりない人なんですよね。
武田 ソフトタッチな人のほうが、偏った情報に触れているということですか?
國領 そう。逆を言うとわかりやすいのですが、例えば、橋下徹さんみたいによく炎上している人のほうが、賛成意見も反対意見も両方集まってくるので、比較的世論と近しい分布が見えているのではないか、という結果が出てきました。
たとえば、反原発をやんわりと主張している人であれば、タイムラインも反原発を主張する仲間ばかりだし、世の中は反原発の人ばかりに見える。でも、主張の激しい人は反対派のメンションなどもどんどん来るので、意見が分散するんですよね。
武田 炎上しやすいような主張の激しい人のまわりには、市場の分布に近いバランスで、さまざまな意見が集まってくる、ということですね。
國領 まあ、どれだけ科学的に信頼できるかまだわからないのですが、その学生がやった研究ではそういう結論が出てきました。炎上させたほうがいい、というのはおもしろいですよね。
武田 以前、明治学院大学さんの研究をお手伝いした際、こんな実験をしました。AとBというまったく違う価値観を持っている人を集めて、それぞれグループをつくります。そして、ネット上にAだけが集まる部屋、Bだけが集まる部屋、AとBが混在する部屋の3種類のスペースをつくります。その中で、1ヵ月くらい継続して質問を投げかけ、互いの意見が見られる状態で、意見を集め続けました。すると、実験が終わったあと、異なる価値観に対する寛容性がAとBの混在グループだけ明らかに高くなっていたんです。
國領 なるほど。
武田 Aの意見の人がBの意見に変わる、ということはほとんどないんです。でも、相手の言っていることを理解しようという姿勢は生まれる。おそらく、互いの立場の意見に触れることで、相手にもそれなりの理由や理屈があるというコンテクストが見えてくるからではないでしょうか。
創発エネルギーには核反応同様の制御が必要。
國領 そうかもしれませんね。ただ一方で、バイアスがかかった世界がすべてだと思い込むような現象も、ネット上では起こっているわけです。
武田 社会学者の宮台真司先生との対談で話題になったのですが、同じ価値観を持ったものだけで場をつくる「島宇宙化」といわれる現象でしょうか(宮台真司氏との対談)。
國領 そうです。ツイッターのように、誰でもフォローし合えるような構造のプラットフォームでも、そのなかでエントロピー(無秩序さ)が減少して予定調和になる島みたいなものができてくる。つながっているからといって、均質化したり平等になったりするわけではなく、むしろ自己組織化みたいなことが起こりやすくなっているのかもしれない、と考えています。
武田 島宇宙化に対しては、どう対処していったらいいのでしょうか。
國領 やっぱり炎上させるのがいいのではないでしょうか(笑)。
武田 なるほど(笑)。
國領 あえて意見が相違する人たちと議論する場を、意識的に用意していくべきだと思います。
武田 たとえば、新聞社がそういった議論を誘発するようなプラットフォームを運営し、意見を集め、さまざまな考え方があるということを自社メディアで打ち出す。これもひとつのソリューションになりうるでしょうか。
國領 そのとおりだと思います。島宇宙化のような現象はネット上に限らず、会社の中などいろいろなところで起こっている。必ずしも新しい現象ではないかもしれません。ただ、今の時代はスピードが速いので自己組織化も急激に起こるし、情報が伝播するスピードも非常に速い。創発的な塊ができやすい空間であることを認識したうえで、その弊害までマネジメントできるようにしなければいけないでしょう。
武田 先生はご著書『ソーシャルな資本主義』のなかでも、暴走を防ぐメカニズムが組み込まれているプラットフォームをつくるべきだと書かれていました。とはいえ、波風が立たない、活動量の低いプラットフォームになってもいけないわけですよね。
國領 これは非常に極端なたとえですけど、究極的な創発エネルギーは核反応なんですよ。核分裂性物質が崩壊し、連鎖反応が起きて、そこから大量の熱が生み出される。それを原子力発電所では、電気に変換して利用しようとしている。しかし核反応の暴走はとてもこわいから、制御メカニズムを入れながらなんとかプラスの方向に使おうと活用してきたわけですよね。これは創発の現象と似ています。
武田 マンハッタン計画(第二次世界大戦中、アメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾開発・製造のために科学者・技術者を総動員した計画)の主要人物だったヴァネヴァー・ブッシュが、“個人が所有するすべての本、記録、通信内容などを圧縮して格納できるデバイス”として、「メメックス」という情報検索システム構想を考案したそうです。メメックスの概念は、その後のハイパーテキスト開発や、WWWの創造にも大きな影響を与えました。その事実を踏まえ、情報学者の西垣通先生が以前、原子爆弾とコンピュータは双子のようなものだとおっしゃっていました。お話をうかがって、創発という部分でもこの2つはつながっていたのかと驚きました。
國領 それも納得ですね。
若者を無理に結婚させることはできない。でも、結婚しやすい環境をつくることはできる。
武田 先生は『ソーシャルな資本主義』のなかで、これからの経営は「蓋然性」を高めることが必要だ、と書かれています。この「蓋然性」というのは、偶然でも必然でもない、その間にあるものという捉え方でいいのでしょうか。
國領 はい。偶然が起こりやすい環境を整える、ということです。創発のような現象は、偶然に起こりうる。だからそれを完全に予測して計画どおり進めるのは難しい。ただ、偶然やイノベーションが起こりやすい環境を整えることはできるだろうと。
武田 慶應義塾大学SFCの井庭崇先生も、コラボレーションというのは冒険的だという話をされていました。これは例えば男女の出会いで言うと……。
國領 蓋然性を考えるとき、恋愛はわかりやすい例えですね(笑) 私の研究室に、地方で結婚を促進させたいときに何をすればいいのかを研究した学生がいます。本人としては、自治体はすぐお見合いをさせようとするけれど、それだけではダメだという問題意識を持っていた。若者が結婚をしない背景には、職がないとか、子育てする環境が整っていないとか、そういう要因もあるからです。
武田 なるほど。そういった生活基盤も、プラットフォームの範疇として捉えるべきなんですね。生活基盤を整えることも、蓋然性を高めることにつながる。
國領 結婚というのは、完全にコントロールできるものではないですよね。ただ、このエリアに結婚して住み着くカップルを増やしたいと思ったとき、どういう環境を整え、アクティビティをおこなうと、そういう人が増えるかは計画できそうです。
武田 類似度が高い集団でのやりとりより、まったく違うところからふっと来た情報がイノベーティブな情報になりうるという話を読んだことがあります。これも創発的な現象として捉えることができるのでしょうか。
國領 均質的なところで議論していても、当然イノベーションは起こりませんよね。イノベーションを起こすには、外から異質なものが飛び込んできたとき、排除せずに受容できるゲートキーパーみたいな人が要になります。その人を経由して情報がどう伝播するのか。その構造をよく理解した上で、外部との情報のやりとりが起こりやすい状況を設計する、というのはあるでしょうね。
武田 私たちエイベック研究所もそういった創発現象が起こりやすいプラットフォームをつくっていきたいと考えています。蓋然性の高いプラットフォームという考え方を知り、私たちが暗中模索でやってきたことに光を照らしてもらったような気がしました。
國領 いえいえ、実践されている方のほうがはるかによく知っていらっしゃると思いますよ。
武田 改めておうかがいしますが、今この時代に創発は必要不可欠なのでしょうか。
國領 利用可能な資源を取り出す方法論を研究している人間として、創発のエネルギーを活かす方法を定式化したいという思いはあります。そのうえでイノベーションはひとつの重要な分野です。創発の危険も理解したうえで、それをプラスにどう活用するか。このテーマについては、今後も研究を続けていきたいですね。
意見が異なる人との議論の場を意識的に用意するなど、偶然を誘発する環境整備がイノベーションには必要である。
國領二郎(こくりょう・じろう)慶應義塾常任理事、慶応義塾大学総合政策学部教授。1982年東京大学経済学部卒業。日本電信電話公社入社。1992年ハーバード大学経営学博士。1993年慶応義塾大学大学院経営管理研究科助教授。2000年同教授。2003年同大学環境情報学部教授。2006年同大学総合政策学部教授。2009年同大学総合政策学部長。2013年慶應義塾常任理事。主な著書に『オープン・ネットワーク経営』(日本経済新聞出版社、1995)、『オープン・アーキテクチャ戦略』(ダイヤモンド社、1999)、『オープン・ソリューション社会の構想』(日本経済新聞出版社、2004)、『ソーシャルな資本主義』(日本経済新聞出版社、2013)がある。