JOURNAL とは?

1996年、学生ベンチャー[エイベック研究所]としてインターネットの大海に船出したクオン株式会社。世界の誰もがつながりうる社会に「コミュニティ(多様で生き生きとした、高品位な双方向ネットワーク)」を実現すべく、目まぐるしい技術革新や経営環境の変化に対応しながら、今日まで航海を続けてきました。このJOURNALは、ソーシャルメディアの台頭に見られる「つながる時代」に、ネットワークのクオリティ(Quality Of Network)の追求が重要なテーマと考えて社名に冠した、クオンの代表 武田隆が、各種メディアでの対談を通じて多くの企業経営人やアカデミアなどの識者から得た「学び」を掲載した「クオンの航海日誌」であると同時に、今もなお多くの人々にとって“気づき”につながる示唆を含んだ「知の議事録」でもあります。JOURNALの2本の柱「企業の遺伝子」「対談:ソーシャルメディア進化論」に通底する、事物の「量」では計りきれないその多様な内容に向かう眼差しが、インターネット時代を生きる皆様の羅針盤になれば幸いです。

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対談:ソーシャルメディア進化論とは?

世界の誰もがつながりうるインターネット時代、私たちを取り巻く文化や経済、社会はどう変化していくのか? 日本最大のファンコミュニティクラウドで300社超のマーケティングを支援してきたクオン代表 武田隆が、各分野を代表する有識者との対談を通し、未来を読み解く「知」の最前線を探索します。(2012年〜2019年、ダイヤモンド社が提供するビジネス情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」にて公開されました)

ホンダ、ソ二ーも、もとはベンチャーだった。置き去りにされた日本にベンチャー遺伝子を呼び覚ますには

日本でこれまで開業率が一番高かったのはいつだか、ご存じだろうか? 答えは「終戦直後」。最近ではスタートアップという言葉もすっかり定着し、日本でも元気なベンチャー企業が数を増やしつつある印象だが、第二次世界大戦終結の直後のほうがはるかに開業率は高かったのだという。 なるほどたしかに、いまや日本を代表する大企業となった本田技研工業やソニーも、もとはベンチャーだった。だが「その遺伝子がどこかに置き去りにされてしまっているのでは」と危惧するのは、長年にわたりベンチャー企業の成長支援をされてきた松田修一氏。今回から3回にわたり、氏との対話を通して「ベンチャー企業」というものを考えていく。

そもそも「ベンチャー企業」の定義とは

武田隆(以下、武田) 松田先生は元日本ベンチャー学会会長で、現在は、エンジェル・ファンド「ウエルインベストメント」の取締役会長でいらっしゃいます。ずっとベンチャー企業やベンチャーキャピタルの成長支援をされてきた松田先生が、ベンチャーに興味を持たれたのは何がきっかけだったのでしょうか?

松田修一(以下、松田) 私は大学生のときに会計士の資格をとり、会計監査のアルバイトをしながら博士課程を修了したあと、監査法人サンワ事務所(現トーマツ)に入所したんです。

武田 会計士からキャリアをスタートされたのですね。

松田 はい。そこで、いろいろな上場企業の会計監査をしているうちに、決算書の内容を良くするためには、企業活動自体を改善しないといけないと思うようになりました。

武田 それはいつ頃のことでしょうか?

松田 僕が入所したのは1973年。その年末には、第一次石油ショックで、産業構造の変化が起こり、新興企業であるハイテクベンチャー企業が次々とつぶれていきました。監査法人では1985年まで、戦後生まれのベンチャー企業再生のための経営監査に従事していました。

武田 そもそも、ベンチャーという言葉が日本に入ってきたのはいつ頃のことだったのでしょうか。

松田 入ってきたというか、「ベンチャービジネス」という言葉は日本でつくられたんですよ。 1971年に出版された『ベンチャー・ビジネス 頭脳を売る小さな大企業』(清成忠男・中村秀一郎・平尾光司共著)という本で、ベンチャービジネスとは何かが具体的に定義づけされました。当時アメリカにハイテクベンチャーの視察に行かれたところ、将来成長する可能性のあるスモールビジネスに投資する企業が「ベンチャーキャピタル」と呼ばれていたんですね。その投資先はスモールビジネスだったり、ニューベンチャーだったりといろいろな呼び方がされていた。そこで、キャピタルの投資先を総称して「ベンチャービジネス」という言葉を初めてつくり、世界的に使われるようになったのです。

武田 著者のひとりである法政大学の清成忠男先生には、さまざまなベンチャー関連の書籍で学ばせていただきましたが、「ベンチャービジネス」の名付け親でもいらっしゃったんですね。最近では「スタートアップ」「リーン・スタートアップ」という言葉も、ベンチャーと同じように使われることがあります。

松田 そうですね。スタートアップというのは、厳密に言うとベンチャー企業の成長の最初のステージのことを指します。起業準備をしている「シード期」の次にくる、実際起業して製品やサービスの販売を開始し、事業が軌道に乗るまでの間を「スタートアップ期」と呼ぶんです。また、最近コストをかけずにPDCAサイクルを短期的に繰り返して起業することをリーン・スタートアップと言っています。

武田 なるほど。

松田 でも、ベンチャー企業の定義というのは非常に難しいのです。時代によって変わることもあります。

創業者にいくらお金が入ったかが大事なことではない

武田 先生は、ご著書『ベンチャー企業』で、「成長意欲の強い起業家に率いられたリスクを恐れない若い企業で、製品や商品の独創性、事業の独立性、社会性、さらに国際性を持ったなんらかの新規性のある企業」と定義されていますね。

松田 この条件をすべて満たしていないとベンチャー企業と言えないのかといったら、そうではありません。この定義のうち半分くらいの要素を備えていればベンチャー企業と言えるでしょう。ポイントは、新技術や新市場、あるいは社会の不合理に挑戦しているかどうか、というところです。1000億円規模になってもベンチャー企業だと自覚している会社もありますから、企業規模で分けるものでもない。重要なのは、新たに挑戦し、イノベーションし続ける経営意思と行動を有する若い企業ということです。

武田 それは、技術革新をし続けるということでしょうか。

松田 技術だけでなく、経営スタイルも含めてですね。市場を変革するということもあるかもしれません。既存のものの延長線上にはない製品やサービスを生み出していくことが、ベンチャー企業の条件です。ベンチャー企業は、高付加価値創造型、雇用創出型、自活・ソーシャル型の3タイプに分けることができます。それぞれのタイプにより経営スタイルが異なります。

武田 先ほどおっしゃった定義のなかで「社会性」というのがありました。これはどういうことでしょうか。

松田 ビジネスは営利活動ですが、いわゆるお金儲けが目的化してしまっては意味がなく、その前提として社会性があるかどうかが重要だと考えています。社会貢献、と言ったほうがよりわかりやすいかもしれませんね。ベンチャー企業というと、IPO(新規株式公開)をして、創業者のもとにいくらお金が入ったという話がフォーカスされがちですが、それは結果であって、起業の目的ではないということです。

武田 「ITベンチャー」というと、特にそういうイメージがありますね。 2000年頃、ベンチャーキャピタル サンブリッジの創業記念パーティーで松田先生と初めてお会いした際、「ベンチャー企業が立ち上がることの社会へのインパクトは、それだけでとても大きい。イノベーティブな企業が後に続くことができるからだ。だから大志を持って頑張りなさい」ということをお話しくださいました。そのように認められたことが初めてだったので、すごく勇気づけられました。社会のための存在というのを意識したのもそれからです。  

日本で開業率が一番高かった時期は?

松田 そんな昔のことまで覚えていてくださって嬉しいです。サンブリッジは、日本オラクルの創業者であるアレンマイナーさんが創られたベンチャーインフラ事業で、大企業の新規事業部、ベンチャー企業、ベンチャー支援団体などがオープンスペースに入居し、交流の場を提供しました。 社会性がなくても瞬間的に儲けられる会社はあるかもしれませんが、持続性はないでしょう。利益はその会社の付加価値活動が、社会から評価されたということの証ですから。

武田 企業活動の社会貢献性が高ければ、利益が社会から順当な評価として得られるということですね。

松田 日本はこれまで世界から安い材料を買い、日本で加工して付加価値をつけ、輸出することで国富を貯めてきました。しかし、安く優秀な人材、高品質、そしてリーズナブルな価格で世界に製品を輸出するという20世紀型のモノづくり国家日本に対して、日本よりも安く、世界の顧客視点に立った製品をつくれる国々がキャッチアップしてきました。日本は、この20世紀型加工貿易立国を、第一次石油ショック以降、政策的に方針転換をしてこなかったことがいまの停滞につながっています。

武田 その加工貿易の成功体験から、なかなか抜け出せていないんですね。

松田 本田技研工業やソニーも、もともとはベンチャーでした。日本だってかつては世界的なベンチャーがたくさん生まれる国だったんです。その遺伝子がどこかに置き去りにされてしまっているのではないでしょうか。安倍晋三政権は「日本再興戦略」として開業率10%を目指すと言っていますが、開業率だけを目標にするのは、産業構造の転換を促進しなければならないという観点から若干問題です。 ところで、日本で開業率が一番高かったのはいつ頃だったと思いますか?

武田 第2次世界大戦の後でしょうか?

松田 そうです。日本で開業率が一番高かったのは、終戦直後です。それもそのはずで、みんな、会社も仕事もなくなってしまったんですから。1950年当時の開業率は、現在の各国の所得水準から見た経済発展段階から推測すると20%近くだと考えられます。また1960年から、東京オリンピックが開催された1964年を経て、1972年くらいまでは、日本の国民1人当たりGDPの年間平均成長率も10%前後と高く、国民全体が若く活力がありました。  

現在のベンチャーにとって「国際性」は当たり前

武田 そもそも「開業」とは何を指すのでしょうか。

松田 開業とは、新しく事業や商売を始めることを言います。ここには、個人で事業を始める創業も、会社などを設立する起業もすべて含んでいます。個人あるいはチームで、一定の場所で経済活動をし、収入を得始めるのが「開業」です。

武田 野菜を売ることも、清掃活動をしてお金をもらうことも、すべて開業なんですね。

松田 そうです。だから、いま世界で開業率が高い国々はどこなのかというと、アフリカや中南米なんですよ。国や社会が1人ひとりの生活を必ずしも守ってくれず、個々人が何らかの方法で収入を得ないと食べていけないからです。

武田 「寄らば大樹の陰」と言いますが……。

松田 その大樹がないということですね。だから、開業率が20%、30%となっている。このような状況を踏まえて考えると、高齢化社会でハイコスト国家になった日本を乗り切るベンチャー輩出を盛り上げるために、開業率だけを目標値にするのは若干問題であると思います。

武田 加工貿易立国から脱するために日本はどうしたらよいのでしょうか。

松田 モノづくりからコトづくりという言葉があるように、加工に加えて、日本はソフト知財で国を富ませていくべきだと思います。日本の伝統文化やサブカルチャーを、ブランド化してビジネスにしていく。ハードからソフトに、技術視点に加えて顧客視点に転換していかなければなりません。ウェブの世界は、モノではなくデザインやサービスが商品になる。商標や意匠権等のソフト知財を国としてもバックアップしていくのが遅れています。

武田 先ほどのベンチャー企業の定義の中に「国際性」というものが含まれていましたね。インターネットによって、国と国との垣根が取り払われ、より商品やサービスを世界に展開しやすくなりました。

松田 そうです。国際化は、いまさら言う必要もないくらい当たり前になりました。留学し、遊学する、会社で海外勤務をするなど、海外経験のある若者は、昔に比べると飛躍的に増えました。日本にも優秀な外国人はたくさんいます。そこから、若者の行動スタンスもだいぶ変わり、新たなアントレプレナー像の時代が来ています。

武田 以前、ボーカロイド「初音ミク」をつくったクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長と対談させていただいたのですが、初音ミクでつくった歌や、ミクのコスプレをして踊った動画をYouTubeに投稿すれば、それだけで世界中の人が見てくれる可能性があり、世界が身近になったという話をしました。

松田 そうですね。インターネットによって、地域発の製品や文化、さらに個人の作品を世界の最終ユーザーである顧客に届けることが可能になりました。

武田 クリプトン・フューチャー・メディア社は札幌の会社ですが、インターネットの世界ではどこに会社があるかというのはほとんど問題になりません。

松田 ネットサービスだったら、どこにいてもパソコン1台あれば起業ができるという時代になりました。固有の製品やサービスを、今の時代に合うツールを使いながら、事業協力者を確保し、資金を集めて、多くの人をパートナーや支援者として巻き込んでいくことができる、顧客視点の事業構想力を持ったアントレプレナー登場の時代が今きています。  

 

ソフトからハードへ、日本文化をブランド化するように技術視点に加えて顧客視点を持たなければならない。

「起業家」と「企業家」には明らかな違いがある

武田隆(以下、武田)前回の最後に「アントレプレナー」という言葉が出てきました「アントレプレナー」は「起業家」と同義語だと考えて良いのでしょうか。

松田修一(以下、松田) 私の解釈では、アントレプレナーは「起業家」と「企業家」のどちらも意味します。

武田 起業家と企業家は、どう違うのでしょう?

松田 研究者や学会では、企業家と起業家が使われ、実務界では起業家という言葉がよく使われています。起業家は自らリスクをとる覚悟で一歩踏み出し事業を起こす人、企業家は事業構想を考え企てる人というように、使い分けています。ベンチャー企業の経営者を起業家と呼ぶのは、一歩踏み出す最初の人であるからです。アントレプレナーは「起業家」としてスタートし、企てる「企業家」に成長していかなければいけません。 私は公認会計士として、中小企業のイノベーションを支援する仕事をしていました。そのなかで、企てる人と起こす人が分かれてしまっている状況を見てきました。プランは経営企画がつくりますが、経営企画に配属された人が現場のリアルを理解していない。それによって、計画と実行に齟齬が生じ、素早い対応がないまま事業が行き詰まってしまうことをよく見てきました。

武田 プランを立てる人と、実行する人が別になってしまっている。

松田 よくベンチャー企業に必要なのは経営のスピードだといわれます。これは、仮説検証のスピードのことなんです。企てる人は事前に仮説を立ててシミュレーションしているので、本来実行したときに仮説、すなわち計画との乖離の原因がどこにあるかがすぐわかる。素晴らしい起業家は、自分で事業を構想・計画し、自ら実行し、計画との乖離を素早く修正し、次なる行動につなげるPDCAサイクルの実践者です。

武田 その意識を持つことが大事なんですね。

松田 武田さんも最初は、自分で計画し、実行していたのではないですか。

武田 はい。企画から営業まで、すべて自分でやっていました。

松田 でも、社員が100人になってもずっと同じスタイルで経営をやっていたら、会社は成長しませんよね。ですから、さまざまな業務を人に分担していくことになります。

武田 組織化のプロセスですね。

松田 多様な経験や考えの社員が多くなると、企業が目指す方向に進んでいるのかを集中して考え、課題があれば具体的な指示を出すと同時に、役割分担に合わせて人的リソースを振り分けていく。ここまでくると、アントレプレナーは、「起こす起業家」ではなく「企てる起業家」です。

武田 アントレプレナーは、自ら行動して学習したあと、事業や組織の拡張とともに企業家に変わっていかなければいけないと。

松田 そうです。ベンチャー企業の寿命を考えるライフサイクルマネジメントのなかで、そういったステップをたどっていきます。

武田 企業の寿命というと、中小企業の支援施策も多く存在していますよね。

松田 そうですね。考えられる手取り足取りの支援施策があって、日本は企業の寿命が長いんですよ。例えば、大学で生まれた研究成果を活用して起業したベンチャーや、大学と共同研究などで起こしたベンチャーなどを総称して「大学発ベンチャー」といいますが、2009年の時点で2012社生まれていました。そのなかで倒産した会社はまだ20~30社しかないんですよ。

武田 そうなんですね。

松田 もちろん大学発ベンチャー企業がすべて利益を出して生き残っているわけではありません。利益が出ていなくても、資金が続けば会社は存続します。大学発ベンチャーは、国の補助金や共同研究、さらに受託開発等で、成長しないが存続している企業が圧倒的に多いのです。大学の研究成果を活用して日本の産業構造の革新を加速するという目的が達成できていない一因でもあります。

武田 経営が時代に合っていなくても、資金が続いてしまうと会社は倒産しないんですね。

松田 いまや中小企業の75%は赤字ですからね。厳しい状況にある中小・零細企業を支援するための「中小企業金融円滑化法」が限界中小企業の延命を可能にしてきた面もあります。新しい時代に合った産業構造の転換を図る国の長期的政策と、環境変化に適合する経営努力をしないと、100年企業がつくれません。  

会社を起業する人は、ほとんどが楽天家?

武田 ここで先生におうかがいしてみたいことがあります。アントレプレナーに必要な資質とはなんでしょうか。

松田 おもしろい質問ですね。それは、起業能力と性格に分かれると思います。起業能力はどんな事業領域を選択するかによって分かれますが、性格でいうと、起業家は皆、明るいところが共通している。悲観的か楽観的かでいうと、必ず楽観的です。明るく、楽しく、前向きにということですね。やっぱり「自分はやれる」と前向きな思いが起業にとっては重要なことですから。

武田 しかし、事業プランを立てるときに、あまりに楽観的だと会社が倒れてしまいそうですが……(笑)。

松田 それはそうですね(笑)。そこは、起業能力のほうにかかってくると思います。事業リスクは常に徹底的に計算する。課題が明確になれば、解決策が考えられる。そのうえで楽しくかつ前向きに挑戦するのが良いアントレプレナーです。また、性格は「情があるかどうか」ということもポイントかもしれません。起業家には、クールヘッドとウォームハートが不可欠というように、経営チームや社員の能力を引き出すには情と忍耐も必要ですね。武田さんの会社は、創業メンバーが何名残っていますか?

武田 4名中3名ですね。

松田 それは多いですね。周りの方との信頼関係をちゃんと築いてこられたからでしょう。

武田 ありがとうございます。それも理由のひとつかもしれませんが、私は、メンバーに「壁」を乗り越えるタフネスがあったからだと思っています。会社が大きくなればなるほど、自分の役割が他者に譲渡されていくので、会社の中での自分の存在感が小さくなっていくような気になってしまいます。「会社が大きくなって嬉しいはずなのに、自分の存在は小さくなって悲しい」というギャップに苦しむというか……。その壁を私たちは「ベンチャーシンドローム」と呼んでいます。

松田 ベンチャーの醍醐味は、個々人の潜在的な能力を引き出す場の提供ですから、会社の期待と自らの能力のギャップを感じている人を排除するのではなく、どうやって役割分担を見つける方向で活かしていくかですね。これは、アントレプレナーとしての起業家にしかできない大変な仕事だと思います。環境変化にどうしても適応できない人は、最後に出て行ってもらうしかないのですが。でも創業メンバーに株式を分配している場合、退社の時にうまく話し合いが進まないと、株式買い取りというトラブルになります。ここは注意すべきところですね。

武田 社会学者の宮台真司先生がおっしゃる「包摂」ですね。そういった問題に直面せずにこられたのは、とても幸運だったと思います。創業の話で言うと、私が創業したころはまだ資本金が1000万円必要で、メンバーがそれぞれ親戚から借りた200万を持ち寄ったんですが、まだ200万円足りなくて。悩んだ末に手持ちのマッキントッシュを現物出資してなんとか1000万集めました(笑)。今は最低資本金制度がなくなりましたが、私はやはりあのとき必死でお金を集めたことが自分を支えてくれたように思うんです。

松田 最低資本金が1000万円当時の起業家は、同じような苦労をしています。現在、ベンチャーの「起業」はずいぶん簡単になりましたよね。Web時代の到来により、資本金も含め、オフィスを1室借りる必要もないし、パソコンと仲間がいれば、お金がほとんどかからなくなりました。いまはベンチャーをサポートしようとする組織や仕組みが行政を含めてたくさんありますし、ベンチャーのインキュベーション施設も増えています。そのネットワークのなかにいれば、困ったことがあれば専門家にすぐ相談することもできます。  

企業からいつまでを「スタートアップ」と呼ぶべきか

武田 経営のノウハウも、コンサルタントの方に聞けば教えてもらえます。しかし、たとえばSWOT分析を教えてもらったとしても、重要なのはどのタイミングで何に対してSWOT分析を用いるかですよね。

松田 経営ツールは多くありますが、どのようなタイミングで何を使うかが重要です。 SWOT分析は大きなトレンドを見て、戦略の方向性を決めるときにはいいですが、いまこの会社の発注を受けるのがベストかという具体的な経営判断にはあまり関係がありません。SWOT分析は鳥の目で事業を見るということですから。逆に、目の前のことをただひたすらクリアしていく虫の目の視点が必要なときもあります。

武田 よくわかります。たとえば、営業の商談数と成約率の結果など、アクションを計測して営業戦略に反映させるということは、もちろん正しいけれど、営業が少人数のときはあまり意味がありません。私たちも最初は私ともう1人しか営業担当がいなかったので、商談数と成約率の結果は片方が風邪を引いただけで大きく変わってしまいました(笑)。

松田 営業が2人では、「いま成約率議論をやってもしょうがない」という状況になりますね。BtoBビジネスのスタート時には、一定の商談をどのような順序で、一つひとつこなしていくかです。重要なのは、将来の商談を優位に進めるロールモデルになるか否かの優先順位を決めることですね。

武田 アントレプレナーは、どのタイミングで「起業家」から「企業家」になるべきなのでしょう。

松田 起業家である時期は「スタートアップ期」と言い換えていいと思います。My Companyといわれるこの段階で倒産する可能性が高いからです。その期間は業種によって違いますね。

武田 100年を見越すような事業であれば、最初の10年がスタートアップ期かもしれませんし、5年くらいのトレンドを狙っていれば数ヵ月がスタートアップ期といえるということですね。

松田 そうです。ひとつの基準は、社員みんなでどこか1ヵ所に集まってワイガヤが可能で、起業家1人で物理的にも全社を掌握できるまでがスタートアップ期なんじゃないでしょうか。人員規模でいうと20人から30人くらいまでがその限界ではないでしょうか。社員全員で志やミッションを共有することが容易な段階でしょうね。 その後は、組織規模の急拡大に伴い、多様な経験を積んだ方々が入社すると、みんなを引っ張るために明確なビジョンを持ち、役割分担を明確にし、Your Company意識を社内に浸透させることが重要な急成長期になります。この段階で、起業家から「企業家」になることが、アントレプレナーに求められます。武田さんはそのビジョンをお持ちだから、多くの社員を引っ張ることができているんだと思いますよ

武田 明日つぶれるかもしれない会社に入社してもらうためにも、ベンチャーキャピタリストに投資をしていただくためにも、相手にビジョンを語るしかなかったんだと思います。何度も語り続けるうちに、少しずつビジョンが固まり、磨かれていったような気がするんです。つまり、言ってるうちに強化されていったのかなって(笑)。

松田 第三者に思いを説明することは重要です。想いの見える化が事業計画ですから。夢のような抽象的なビジョンや目標が、より具体的になり、そこに至るプロセスが明確になり、社員全員が共感し、成長軌道に乗る仕組みができ上がることは、企業家へ変身できた証ですね。 だからいま、少ない資金で簡単に起業ができるからといって、簡単に会社をつくって簡単につぶしてしまう傾向もありますが、それでは社会的にもムダが多くなってしまいます。やはり、一定期間「自己インキュベート」をして、起業能力を高めることが必要です。  

事業計画は「想いの見える化」。ビジョンを具体化し、社員の共感を得て、軌道を創ることが企業家の証である。

第4次ベンチャーブームが到来している

武田隆(以下、武田) 1971年に「ベンチャービジネス」という言葉が日本でつくられてから、今日までの間に、何度かベンチャーブームがあったと思います。

松田修一(以下、松田) そうですね。大きな変革期、すなわち技術変革期、産業変革期、市場変革期などの変革スタート期には、新たな変革に挑戦しようとする若者や彼らを支援しようとする仕組みが動き出すからです。 「ベンチャービジネス」という言葉がつくられた1971年から1973年までが第1次ベンチャーブームです。素材産業中心の大量生産・大量消費産業から、加工組立型産業への転換期にあたり、その周辺で研究開発型のハイテクベンチャー企業がたくさん生まれました。第2次ベンチャーブームは、その約10年後、1982年から1985年までで、製造業中心の産業構造から、流通サービス業への転換が行われました。

武田 最近だと、ネットベンチャーブームが思い出されますが……。

松田 ネットバブルは、その後の第3次ベンチャーブームに入ります。第3次ベンチャーブームは、日本が長期不況に突入した1995年からスタートします。95年には技術ベンチャーを支援する「創造的中小企業促進法」が制定され、96年には各県でベンチャー企業に投資する「ベンチャー財団」が設立されました。95年から2006年にかけて長期間続きました。多くの民間ベンチャーファンドが設立され、ベンチャー支援策がたくさん打ち出されました。

武田 それはなぜだったのでしょうか。

松田 ノートパソコンとインターネットが急激に普及し始め、新たな情報サービス業が急拡大し、政策とIT技術の変革期だったのです。さらに、液晶技術や太陽光発電などの家電・エネルギー領域や超高齢化社会の課題解決のため健康・医療のバイオや医療機器領域で、日本の高い技術が活かせそうだということで、経済活性化のために各省庁が垣根を超えた制度・政策づくりに乗り出しました。国立大学の教員の兼職禁止が解禁され、大学の研究成果である知的財産を事業化して起業に活かすこともできるようになりました。産学官、そして地域が連携し、ベンチャーを後押ししたんです。

武田 私が創業したのは1996年ですが、こんな動きがあったとは知りませんでした。

松田 1999年に東京証券取引所のマザーズがスタートし、2000年に大阪証券取引所のナスダック・ジャパン(ヘラクレスへ名称変更後、ジャスダックと統合)というベンチャー等新興企業向けの株式市場が開設され、赤字でも将来の成長可能性があればIPO(新規株式公開)ができるように、証券取引所の審査基準が緩和されました。これで世の中が一気に変わった。会社設立後1年足らずのベンチャー企業でも上場できるようになり、2000年には203社がIPOしました。サイバーエージェントは設立2年で上場を果たしました。

武田 業界がお祭り気分に浸っていた時期ですね。しかし、2000年を過ぎるとネットバブルが崩壊します。

松田 「メダカがクジラを飲み込む」と言われたように、新興ベンチャー企業が豊富なIPO資金でM&Aを活発に行いました。しかし、インターネットを活用したアイデア企画型の多産多死型のネットベンチャーブームは短期間で終わってしまいました。2006年のライブドア事件によってIPOの審査基準も厳しくなり、IPO時に売上高10億円、経常利益2億円が実質審査基準になりました。 2000年からずっと150社前後で推移していたIPO社数は、2008年秋のリーマンショックに端を発した世界同時金融危機による株価低迷で、2009年に19社、2010年は22社にまで急減しました。簡単に上場できない時代になっていましたが、現在は「将来の成長可能性基準」に審査基準が戻りました。2013年のIPO数は58社になり、私は昨年あたりから、第4次ベンチャーブームに入ったと思っています。  

第4次ベンチャーブームをブームに終わらせないことの重要性

武田 第4次ベンチャーブームとはどういったものでしょうか?

松田 超高齢化に伴うハイコスト国家日本の経営資源を活用しながら世界の成長地域に進出し、それぞれの地域で長期に貢献しながら、日本に付加価値を還流したいという、市場・顧客視点のグローバルアントレプレナーたちが多く輩出し始めたことがあげられます。 さらに、2012年末の総選挙で第2次安倍内閣が成立し、アベノミクスの「第3の矢」で日本経済全体を底上げする成長戦略を打ち出しました。そのなかで、ベンチャー企業の育成も重要目標としてあげられています。2013年には投資を活発化する目的で多くの官民ファンドやCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)ファンドが一斉に立ち上がり、技術レベルの高いベンチャーや日本の経営資源を活かす支援体制が過去最高のレベルでに整ってきました。

武田 世の中が変化するときには、ベンチャー企業が出てきやすくなる(第2回参照)。さらに、国がそれを支援しようという動きが新しく始まっているんですね。

松田 はい。私はこの第4次ベンチャーブームを、ブームではなく定着させることが大事だと考えています。いまの日本全体の大きな流れとして、大企業のグローバル化があります。全体の利益の7割を海外から上げている企業が多くなりました。少ない投資で大きな利益をもたらす可能性のある海外市場で製造し、販売するという、世界最適地立地主義を事業戦略に据えることは、当然のことです。世界から安価な原材料を輸入し、日本で製品をつくって輸出するという仕組みは変えざるをえないわけです。

武田 環境が日本企業を海外に向かわせているわけですね。私どものクライアントは大企業が多く、東証一部に上場している企業で見ると80社のお手伝いをしています。そのうち、経営の方で、海外を意識されていないというケースはほとんどありません。

松田 そうでしょうね。さらに、日本は高齢化しています。第1次ベンチャーブームのころ、企業で働く人の平均年齢は何歳だったと思います?

武田 うーん、若かったでしょうから、30歳くらいでしょうか。

松田 推計ですが、実は25歳だったんです。中卒や高卒で働き始める人も多く、従業員の平均年齢が30歳の企業は高齢なほうだったんですよ。第2次ベンチャーブームのころの従業員の平均年齢は30歳、第3次では40歳くらいです。そして2014年のいまは45歳。1947~49年生まれの団塊の世代が現在65歳を過ぎ、生産人口(15~65歳)は減少し続けています。

武田 改めて数字を追いかけてみると、すごい上がり方ですね。

松田 豊かになった日本で45歳となると、平均的な個人所得が400~500万円前後になります。当然家庭でも最もお金がかかる時期になります。そうなると、安い労働力で高品質の製品をつくるという、20世紀型の付加価値の出し方は不可能になる。従来型の加工貿易立国としての日本は、明確に限界が来ています。そこで、今後は誰が日本の付加価値創造を牽引していくのか考えたとき、新たな価値を生み出すことに挑戦するアントレプレナーに率いられたベンチャーが担う必要があると思います。

武田 比較的、守るべき伝統がなく、既存のしがらみから解放されていて、イノベーションを起こしやすいベンチャー企業に可能性があるということでしょうか?

松田 そうです。これからの日本は、知恵で稼ぐ仕組みをつくっていかなければいけません。ベンチャー企業が国内の経営資源を十分活用した新ビジネスモデルを構築し、レベルの高い顧客のニーズ対応で鍛えられながらパイロットテストを行い、ビジネスモデルをさらに進化させて高収益モデルを確立し、世界の成長市場で事業を展開する。そうして、海外の成長市場において社会貢献して得た利益から配当を得る。また、海外の企業に供与した特許権等の知財からロイヤリティ収入が入ってくるという2つのモデルで、ハイコスト国家を乗り切ることです。

武田 世界中のパートナーにライセンスを提供するというイメージでしょうか? つまり、ビジネスモデルを輸出するんですね。

松田 そうです。これまで培った高い技術や、ものづくりへの取り組み姿勢、おもてなしの心、安心安全のブランドなどは、広い意味での「知恵」です。これらを総合して21世紀の日本は「ビジネスモデル輸出国家」を目指すべきだと思います。  

起業の「エコシステム」による社会のサスティナビリティ

武田 今回の対談を通して、ベンチャー企業の重要性を改めて認識できたように思います。また、時代が変わっても、変化に適応し、生き残り続ける。サステナビリティがベンチャー企業にとって重要なことなのだと感じました。

松田 サステナビリティといっても、高齢化が加速する日本で、ただ続くのではなく、会社の活力を維持する「若さ」を保てなければいけないでしょう。それには持続的な成長が必要です。経営がそこそこ軌道に乗り、社員が30~50人ほどのベンチャー企業を経営する社長で、「これ以上会社を大きくする必要はない」と考えている人は多い。経験豊富な従業員が揃い、創業時の苦労からすると一番経営がやりやすい段階で、ホッとする瞬間です。そういう場合、いつも問いかけます。いまのメンバーのままで社員全員が15歳年をとったとしたら? と想像してもらうんです。

武田 それは……ちょっと大変な状況ですね(笑)。そのメンバーの報酬だってあげていきたいですし……。

松田 でしょう! 経済社会が急激に変化しているとき、現状の競争力を変わらず維持するためにも、成長が必要なんです。より「明るい日」である明日を生み出すために変革し、成長し続けることが重要です。その際には、ただ規模を拡大するのではなく、付加価値活動を、進化・深化させていくような成長が期待されます。

武田 企業をとりまく市場環境はめまぐるしく変化していきます。未来はいつも不確定で複雑系です。仮に今、安定していたとしても、未来にどうなるかはわかりません。やはり企業家は、常に今以上を目指し、自らを変化させ続けていくこと。成長を止めないことが重要だと感じています。成長こそがサステナビリティにつながるのだと思います。

松田 そうしたサステナブルでイノベーティブなベンチャー企業が日本でどんどん生まれるために、国策を含めたインフラを整備することも求められています。起業家予備軍や起業家が悩むときに相談ができるプロのメンター、死の谷を乗り越えるスタートアップ期に自己リスクで資金を供与し、アドバイスをする個人投資家としてのエンジェル、ベンチャーの急成長期に不可欠な成長資金を供与し、起業家とともにリスクを共有するキャピタリスト、といったベンチャーの成長ステージに登場するプロのベンチャー支援人材が、アントレプレナーの両輪として必要です。これらがあってはじめてアントレプレナー輩出の舞台が生まれるわけです。 そのためには、成功した起業家が、メンターやエンジェル、さらにキャピタリストというベンチャー支援側に回るエコシステムを形成することが重要だと考えています。

武田 起業の生態系ですか……。

松田 キャピタリストだった人がアントレプレナーになるなど、立場を入れ替えながら経済社会全体を活性化しサステナビリティを保つ、そういったエコシステムです。最近では、起業家が自分の生まれ育った地域の企業や自治体を支援して、後進の起業家を育成したりする、地域発エコシステムも生まれつつあります。

武田 東京だけでなく、各地域からベンチャー企業が生まれるようになるんですね。

松田 こういった地域の起業・企業を支援するエコシステムが成り立つことが、社会全体のサステナビリティにつながります。団塊世代が後期高齢者(75歳以上)となるまで、あと10年。この時点までに完成しておく必要があります。となると、第4次ベンチャーブームを定着させ、エコシステムを構築する猶予期間は、2020年くらいまでということになります。

武田 東京オリンピックの年ですね。

松田 そうです。オリンピックの年までに、これから20、30年後の日本を見通せるようなシステムをつくりあげていかないといけません。  

日本が挑戦すべき一億総企業家への意識改革

武田 最後に、これからの日本経済を牽引していく読者の皆様にメッセージをいただけないでしょうか。

松田 日本は異質よりも同質を好み、出る杭をたたき戻す、あるいは抜いて捨てる時代が長く続きました。しかし、ネット社会の進化と深化によって、無限のようであった地球が狭くなり、すぐ隣のように近くなり、地域・人種・年代がクロスするダイバーシティの時代に入っています。自己の帰属している組織ではなく、専門性の高い仕事に対してミッションとプライドを持たなければ、21世紀を悠々と生きていけない時代に入っています。 このようなプロ集団の能力をさらに発揮させる場が、会社です。そういう意味で、ソーシャルアントレプレナーを含む一億総起業家または企業家を意識する時代への挑戦が始まっているのではないでしょうか。 私の大好きな言葉があります。大成功した日本の起業家が社長室に掲げていた額を贈っていただきました。1899年生まれのアメリカの政治家Dean Alfangeの「アメリカ人であることが意味するもの」というアントレプレナー魂です。その中に、次のような言葉があります。建国時のアメリカ人のように、日本もかくありたいものですね。

国家に扶養され、自尊心と活力を失った人間にはなりたくない。

私はギリギリまで計算しつくしたリスクに挑戦したい。

つねにロマンを追いかけ、この手で実現したい。

失敗し、成功し……七転八起こそ、私の望むところだ。

意味のない仕事から暮しの糧を得るのはお断りだ。

ぬくぬくと保証された生活よりも、チャレンジに富むいきいきとした人生を選びたい。

新たな技術や市場、さらに新経営システムを自ら考え、開発し、国内外に向けて挑戦し、その結果を享受し、成果については社会還元も配慮する。そんなアントレプレナーを、社会全体で高く評価する風土を創りだすことによって、超高齢化社会の課題先進国解決モデルを日本から、発信しようではありませんか。    

社会のサステナビリティを保つため、起業・企業を支援するエコシステムの形成が求められる。

松田修一(まつだ・しゅういち)早稲田大学名誉教授・商学博士。昭和18年10月1日生まれ。1966年9月公認会計士試験2次試験合格、1972年3月早稲田大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。1973年12月監査法人サン ワ事務所(現監査法人トーマツ) 入社、社員として中堅・ベンチャー企業のコンサルティングに従事。1985年3 月「独立第三者による経営監査の研究」にて商学博士(早稲田大学)、1986年4月早稲田大学アジア太平洋研究センター助教授、1991年4月同セン ター教授に就任。1998年4月早稲田大学大学院(MBA)教授に就任。2007年4月早稲田大学大学院商学研究科(ビジネス専攻)教授に就任。2012年3月早期退職、名誉教授。現在、早大アントレプレヌール研究会代表理事、ウエルインベストメント株式会社取締役会長を含む6社の社外役員、日本ニュービジネス協議会連合会副会長。元日本ベンチャー学会会長。経済産業省・財務省・文部科学省・総務省などの審議会・委員会委員などを歴任。『ビジネスゼミナール会社の読み方』(日本経済新聞出版社)『ベンチャー企業』(日経文庫)『日本のイノベーション1、2、3』(白桃書房) 等著書・論文多数。

第1回QONアドバイザー会議
〜Quality Of Networkとはなにか?〜

2020年2月5日 赤坂某所。日本を代表する知識人たちが一堂に集結し、次世代の重要テーマ「Quality Of Network」について、議論を白熱させた。このテーマは、クオン社の社名の由来でもある。1996年、学生ベンチャーとして起業し、多くの幸運に恵まれどうにか生き残ってきた。その幸運のひとつは、知の巨人たちとの出逢いだった。「ソーシャルメディア進化論(ダイヤモンド社/2011年)」の出版を機に紡がれた縁は、縁が縁を呼び、クオンの社格には不相応な重厚で貴重なネットワークとなった。「QONアドバイザー会」はクオンにもたらされた幸運の結晶でもある。「アドバイザー会議」に知の巨人たちが集まる…。この知のネットワークのやりとりをクオン社内に留めておくのは忍びない。アドバイザーのみなさまに、会議全録の記事公開をお願いし、快諾を頂いた。
当日、議論は凄まじい密度で展開された。「クオリティ」とはなにか?「ネットワーク」とはなにか?量と質。マスメディアとインターネット。秩序と混沌。人間とAI、意識と無意識。様々な二項対立の関係が次々と暴かれて行く。「Quality Of Network」について考えるということは、多くの矛盾と向き合って行くことなのだと痛感した。動的に冒険的に。そして大きな野望を持って。「QON」は、「Quality Of Network」 の頭文字だ。「QON」は「クオン」と読む。この音は仏語の「久遠」にも通じる。久遠とは、遠い過去または未来のこと。久遠の視野を持って、同じ時代を生きる皆さまと一緒に、ネットワークの多様な現実と可能性について模索していきたい。(クオン代表 武田 隆)

■参加者 ※敬称略
<アドバイザー>
野中郁次郎(一橋大学名誉教授)/ 松岡正剛(編集工学者)/ 村井 純(慶應義塾大学教授)/ 松田修一(早稲田大学名誉教授)/ 池上高志(東京大学大学院総合文化研究科教授)/ 佐野弘明(元株式会社電通常務執行役員)
<社外取締役>
アレン マイナー(サンブリッジグループCEO)/ 國領二郎(慶應義塾大学教授)

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