JOURNAL とは?

1996年、学生ベンチャー[エイベック研究所]としてインターネットの大海に船出したクオン株式会社。世界の誰もがつながりうる社会に「コミュニティ(多様で生き生きとした、高品位な双方向ネットワーク)」を実現すべく、目まぐるしい技術革新や経営環境の変化に対応しながら、今日まで航海を続けてきました。このJOURNALは、ソーシャルメディアの台頭に見られる「つながる時代」に、ネットワークのクオリティ(Quality Of Network)の追求が重要なテーマと考えて社名に冠した、クオンの代表 武田隆が、各種メディアでの対談を通じて多くの企業経営人やアカデミアなどの識者から得た「学び」を掲載した「クオンの航海日誌」であると同時に、今もなお多くの人々にとって“気づき”につながる示唆を含んだ「知の議事録」でもあります。JOURNALの2本の柱「企業の遺伝子」「対談:ソーシャルメディア進化論」に通底する、事物の「量」では計りきれないその多様な内容に向かう眼差しが、インターネット時代を生きる皆様の羅針盤になれば幸いです。

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対談:ソーシャルメディア進化論とは?

世界の誰もがつながりうるインターネット時代、私たちを取り巻く文化や経済、社会はどう変化していくのか? 日本最大のファンコミュニティクラウドで300社超のマーケティングを支援してきたクオン代表 武田隆が、各分野を代表する有識者との対談を通し、未来を読み解く「知」の最前線を探索します。(2012年〜2019年、ダイヤモンド社が提供するビジネス情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」にて公開されました)

今後、あらゆる機械は人間を目指す 

人間そっくりのアンドロイドを開発し世界にインパクトを与えるなど、常にロボット工学の最先端を走っている研究者の石黒浩氏。大阪大学大学院基礎工学研究科の石黒研究室では、未来の人間社会を支える知的システムの実現を目指し、さまざまな人間型ロボットを創り出す研究を進めている。そんな石黒氏が一貫して問い続けてきたのが、「人間とは何か」という人間の存在に関する根本的な問題だ。現在、石黒氏はその問いについてどう考えているのだろうか。まずは、最近の研究の話からうかがっていく。

機械は高性能になる程に、人間に近づく 

武田隆(以下、武田) 石黒先生はロボット研究の第一人者でいらっしゃいます。これまでには、石黒先生自身がモデルとなった「ジェミノイド HI」、女性型の「ジェミノイド F」、マツコ・デラックスさんを模した「マツコロイド」など、モデルに見かけが酷似したアンドロイドをたくさん作ってこられました。今はどんなロボットを開発していらっしゃるのでしょうか 

石黒浩(以下、石黒) 今は、「ERICA」というアンドロイドの研究に力を入れています。ERICAはこれまでのような遠隔操作型ではなく、自然に人と会話ができる自律対話型のアンドロイドです。意図や欲求を持つロボットを作りたいと思って試しているのですが、なかなか結果は出ませんね。難しいです。 

武田 リアルな人型のアンドロイドの他には、クッションのような携帯型のアンドロイドも開発していらっしゃいますよね。やわらかい人形にスマホを入れて抱きかかえたりしながら遠くの人と会話すると、相手の存在を強く感じられるのだとか。 

石黒 ハグビーのことですね。ハグビーは「存在感伝達メディア」なんです。ロボットを利用したコミュニケーション研究の過程で誕生した商品で、通話中にハグビーを抱きしめるとストレス軽減効果があることが明らかになりました。この結果は正式に論文として『nature』掲載されています(論文はこちら

気になっている人に渡して、二人でハグビーを使って会話をしたら、すごく親密な関係になれますよ。 

武田 好きになってもらうこともできちゃうんですね。こうしたロボット研究で石黒先生は一貫して、「人間に近づける」ということをテーマにしていらっしゃいます。 

石黒 あらゆる機械は、高機能になればなるほど人間に近づくと考えているんです。まず、機械というのは高機能になると、ものすごくたくさんのパラメータ調整をしないと使えないですよね。プロが使うようなカメラなどを想像してもらうとわかりやすいと思います。しかし、一般的に私たちが使用するカメラのオート機能、たとえば「簡単撮影モード」を利用すれば誰でも、ある程度いい写真が撮れます。これは「撮影者にきれいな写真を撮らせてあげたい」というカメラの意図や欲求があるから、といえます。

ロボットは今後、「◯◯したい」という欲求を持つようになる 

石黒 システムが複雑になればなるほど、ロボットが自律的に動いてくれなければ、人間はそのシステムを満足に使うことはできないんです。このときの「自律性」というのは、人間らしいということ。人間はすごく複雑な生物ですけど、人間は人間に指示をしたり、動いてもらったりすることはできますよね。 

武田 つまり、インターフェイスが人間っぽくなれば、人間はその高性能な機械を簡単に使えるようになるんですね。擬人化されてきているということでしょうか。ロボットが人間と同じように意思をもち、何かをしたいという欲求を持つようになる。ますますロボットは人間に近づくということですね。 

石黒 そうです。その流れの一つが、スマートスピーカーですよね。 

武田 Google HomeやAmazon Echoなどを導入する家庭が増えているそうですね。子どもなどは、すぐに順応し、何の躊躇もなく話しかける。 

石黒 複雑な機械を扱えない子どもでも、人間に対して「◯◯してほしい」とお願いすることはできる。スマートスピーカーは「明日の天気は?」など、人間に聞くように音声で指示すれば、機械がそれに反応して動いてくれますから。言語というのはすごく曖昧なので、まだそんなに複雑な命令はできないですけどね。
でもここから、スマートスピーカーがもっと高機能になり、こっちの意図や欲求を理解するようになれば、ものすごく便利になるはずです。 

武田 人間の意図や欲求を理解する、というレベルにまで達するんですか。 

石黒 そのとき、機械の側が「人に良いサービスをしたい」という欲求を持てば、自分で意思決定して動けるようになるんです。「落ち込んでいるみたいだから、この人の好きな音楽をかけてあげようかな」とか「雨の予報なのに傘を持っていないようだから、一言教えてあげようかな」とか。だから今後、機械がもっと高度化・複雑化する過程において、機械自ら欲求を持つことは必須だと考えています。 

武田 自発的な欲求を持てるか、というところに機械と人間との違いがあるという訳ですよね。機械に欲求をもたせることは可能なんでしょうか。 

石黒 可能だと思っています。 

武田 でも機械にはプログラミングが必要ですよね。 

石黒 そう、プログラミングすればいいわけですから。ただ、欲求の仕組みを知らないといけないですよね。「人に良いサービスをしたい」という欲求はどういうメカニズムになっているのか、と。その思考回路を理解しなければならない。
ただ単純に「最終的に何をしても生き残りたい」といった生存の欲求だけでプログラミングをしてしまうと、人間を排除しようとする可能性も出てきます。 

武田 ディストピアもののSFに出てきそうな展開ですね。だからこそ、SF作家のアイザック・アシモフは「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を入れたロボット工学三原則を考えたのでしょうけれど。 

ロボットに「社会の一員であると自覚させる 

石黒 だから、人間の生活を支援するようなことに欲求をもたせるといいわけですよね。でも考えてみると、「生き残れば何をしてもいい」というのは、遺伝子のプログラミングとしては一番正しいはず。遺伝子は単に生き残るために設計されてるのに、なぜこの欲求じゃダメなんでしょう。 

武田 一説によると、ホモ・サピエンスは自分だけが生き残ろうとするのではなく、協力してみんなで生き残ろうとしたから種が続いてきたそうですね。 

石黒 社会性があったほうが、遺伝子が残りやすかったということですよね。そしてその社会性によって、今日の社会や文明が作られてきた。僕らは長い歴史のなかで、いろいろなことを積み重ねてきたわけです。それを全部無視して、根本的な欲求だけをロボットに教育するのはきっと違うのでしょう。 

武田 その社会性をなくしてしまったら、人間ではなく動物になってしまいます。 

石黒 「生き残れば何をしてもいい」という動物的な法則だけで機械をつくると、今の社会を壊してしまうかもしれない。それは絶対によくないですよね。人間の文化を形成する、伝統や風習、常識、ルールなどがミームとして後世に伝えられていて、それがちょっとやそっとでは崩壊しないような社会を作っている可能性があるんだな。 

武田 リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」で書かれているミーム(文化的遺伝)のことですね。だからこそ、文化的な遺伝子も受け継ぐようなロボットを作る必要がある、と。 

石黒 そうですね。今我々が作っているERICAには、個人的な欲求と社会的な欲求のどちらもプログラムしてるんです。今お話したようなことを考えてそうしたのではなく、試行錯誤の上でそうなったんですよ。 

武田 そうしないと、自然な会話ができないのでしょうか。 

石黒 できるだけ長く、自然に対話できるように、と考えた結果そうなったんです。だから、これからのロボットには、ただ個人としての欲求をプログラムするのではなく、今の社会の中でどう役立つか、といったことまで考えて、欲求をデザインしないといけないのだと思います。

人と同じであることに安心しては、研究者としては進化しない 

武田隆(以下、武田) 私が経営しているクオン株式会社が提供している消費者コミュニティで、おもしろい現象が観察されることがあります。通常、ミクロ経済学では経済主体は効用を最大化しようとする、つまり最も低いコストで最も高いリターンが得られるものを選択する、とされています。でも、実際の購買行動を見ているとそうではないケースも多々あるんです。 

石黒浩(以下、石黒) どんなケースでしょうか? 

武田 例えば、他のショッピングサイトから買えば500円安いのに、A社のオンラインコミュニティに参加しているユーザーは、わざわざA社の公式ショップで買うという行動が見られます。そういうユーザーは一定数いるんです。 

石黒 無駄なことをしたくなるんでしょうね。未知なものに対する期待があるんじゃないでしょうか。「ここで買えば安い」という、わかっている情報だけで確実なものを選ぶと発見がないんですよ。 

武田 発見を求めている。それは考えたことがありませんでした。私達の分析では、そういう行動を取る人はA社のコミュニティに対してロイヤリティを持っていて、A社のサイトで買うことに気持ちよさを感じているんじゃないか、と。 

石黒 そういう人は多いでしょうね。グループに属することの安心感を得たいのかもしれません。研究者は人と同じことをしたら、即死ですけどね。 

武田 即死! たしかに、すでに同じことを発想して、研究している人がいたら、その研究テーマは成り立たないですね。 

石黒 はい。研究者は特にですが、人と同じであることの安心感では進化できないと考えています。 

武田 進化、ですか。人と同じことをすることと、進化は関係があるんですか? 

石黒 哺乳類のなかでも、ごく一部が人類になったわけですよね。そう考えると、いまの人類のうちの何%が、次の人類になるのでしょう。ここで、みんなと同じになりたい、あの人を真似したい、という考えを持つ人は、進化する方の人間だと思いますか? しない方の人間だと思いますか? 

武田 うーん、しない方の人間だと思います。 

石黒 ですよね。でも、進化に取り残されるとわかっていながら、「みんなと同じ」に惹かれる。ここが人間のおもしろいところだと思うんです。例えば、アイドルのファンとアイドルになる人がいますよね。 

進化に関する、2極化したプレッシャー 

武田 アイドルになる人は、ほんの一握りですよね。 

石黒 そう。そして、アイドルの熱狂的なファンが、「よし、自分もアイドルになろう」とはあまり思わないんですよ。一部には、アイドルに憧れてアイドルになる人もいますけれど。だから、不思議な構造だなと思うんです。進化的には、この「みんなと同じがいい人」と「そうでない人」の2極に向かうプレッシャーがかかっているような気がするんですよね。 

武田 それをうかがって、最近の企業がみんなイノベーションを志向している、ということが頭に浮かびました。志向はしているものの、本当にイノベーションを起こす企業は数社です。ほとんどは、アイドルのファンのようにイノベーションに憧れているだけです。 

石黒 むしろ、イノベーションを起こす会社と起こさない会社の差が開いていくと、起こるイノベーションのインパクトはものすごく大きくなるのかもしれません。進化という言葉がふさわしいほどに。その差を意図的に広げていいかどうかはわからないですが。
でもこの二極化の力がかかっていることに、我々プレイヤーは気づいていないのが現状だと思います。 

武田 それが経済学者シュンペーターが唱えたイノベーション理論の本来の意味というわけですね。進化する側の人間になりたければ、「みんなと同じ」からは脱却しなければいけない。少しお話しが変わるのですが、先生はいまアンドロイド研究を続けて考えてこられた「人間とは何か」、という問いについてどういう答えをもっていらっしゃるのでしょうか。 

石黒 まだ答えは出ていないんですけど、想像力が人間にとって一番重要だ、と考えています。イマジネーションって、人間にとって一番不思議な機能ですよね。だって、僕らは頭の中で別の世界を作り直しているんです。僕らが認識しているのは、観察している世界そのままではない。実は僕らは、自分の体がどう動いているかもわからないんです。筋肉一つ一つがどう動いているかって、把握してますか? 

武田 していないですね(笑) 

石黒 そこは想像で補ってるんですよね。それでも体はちゃんと動く。全部想像で作り出しているのが人間だ、とも言えるんですよ。全部想像なら、もっと自由度があってもいいはず。今は体の制約にすごく縛られているので。 

武田 人間型のアンドロイドを作られていると、より体の制約というものを実感されるんでしょうね。 

人口が劇的に減少すれば、ロボットはすんなり受け入れられる 

石黒 歩けないと、自分が他の人より劣っていると感じるかもしれません。でももし、歩けなくてもインターネットの世界で自由に活動できるようになれば、むしろ本当の自由が得られるかもしれない。スティーブン・ホーキング博士は筋萎縮性側索硬化症で体が自由に動きませんでしたが、むしろそのことでイマジネーションが広がったのでは、と思うことがあるんです。彼の研究活動の成果は、体の不自由さから生まれたのではないか、と。 

武田 国や宗教などというものも、想像力があったからこそ生まれたものですよね。人間がコミュニティとして認識できる人数・ダンバー数(※)は通常、150人程度だと言われています。でも、人間は何千万人という集団をつくることもできる。それは想像で、国家というものや宗教、神というものを信じられるからですよね。考古学の研究で、群れができたあとに宗教が生まれて神殿ができるのだと考えていたら、むしろ神殿が先にできて、それを信じる人達が集まって群れができたという説を『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著/柴田裕之訳)で読みました。
※ 人類学者のロビン・ダンバーが提唱した、人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の上限。霊長類の脳の大きさと平均的な群れの大きさから算出されている 

石黒 人間は、〇〇国の国民、△△教の信者、などわかりやすくグルーピングすることで安心感を持つんですよね。 

武田 ヨーロッパでペストが流行したときの人口の減り方と、これから日本が少子高齢化で経験する人口の減り方が、同じようなカーブを描くそうです。人口が減った時も、イギリスではその後1760年代に産業革命が始まり、生産性が向上し、国力は増大しました。日本では今後、ガクッと人口が減った後、ロボットの普及が増えるので問題ないと思われますか? この国からロボット革命が始まるのでしょうか? 

石黒 その話、僕はペストがあったから産業革命が起こった、とも考えられると思います。今はロボットが人間の仕事を奪うといって反対している人もいますよね。でも、人がものすごく減って、働き手が確実に足りなくなるとわかったら、ロボットは一般社会に受け入れられていくはずです。技術は指数関数で加速的に進んでいくため、人口が減っても問題ないと僕は思います。 

ロボットを使うことは、最も人間らしい行為 

石黒浩(以下、石黒) 「人間とは何か」という問いを考える切り口として、「人間と猿はどう違うか」という問いを立てることができます。 

武田隆(以下、武田) 遺伝子的にはほとんど変わらないと聞きます。生物としては、そんなに違いがないんですよね。 

石黒 そうです。でも、人間は道具を使う。道具で技術を発展させる。だから、ぜんぜん違うんです。技術の最も進んだプロダクトがロボットだとすると、人間とロボットは切り離せない存在なんですよ。カメラマンはカメラを使うから、カメラマンなわけです。人間にとってのロボットは、カメラマンにとってのカメラと同じだと言えます。 

武田 ロボットを使うのは、最も人間らしい行為だとも言えるんですね。 

石黒 そして人間の歴史は、能力を技術で拡張してきた歴史でもあります。例えば、月に行くことを目標に設定するとします。その方法として、自然淘汰や遺伝子の突然変異の力で「宇宙に行ける体」を作ろうとしたら? 

武田 いつまで経っても行ける気がしません。どんなに突然変異が起こっても、不可能だと思います。 

石黒 たぶん体を変化させて宇宙に行くのは無理ですよね。でも人間には科学技術があるから、1969年の段階で月面着陸を実現させています。 

武田 ホモ・サピエンスが誕生してから、20万年くらいで達成してしまった。 

石黒 そうです。生物の進化の上に、人類の技術による進化を重ねたら、とんでもなく先に行けるんです。遺伝子では絶対に達成できないところまで到達できる。そうすると、生身の体って人間を定義する際に必要ないのでは、と思うんですよ。 

武田 それはすごい発想です。生まれたときからこの体で生きているので、どうしても人間として存在するには生身の体が不可欠だ、と思ってしまいますが……。 

石黒 でも、よく考えてみてください。義手や義足をつけている人を見た時、僕らはその人のことを100%人間として認識しますよね。さらに身近な例で言えば、メガネをかけることは最も簡単なサイボーグ化だと言えませんか? 

武田 素の目ではなく、なにか物体を通して物を見ている。でも、メガネをかけているからといって、人間らしくないとは思いませんね。 

生身の体なくても、人間らしさは微塵も減らない!? 

石黒 機械を体に装着したところで、微塵も人間らしさは減らないんです。ということは、生身の体は人間の定義には必要ないということ。それは現時点ではっきりわかっています。 

武田 だんだんそんな気がしてきました。今は白内障の手術で、濁ってしまった水晶体を取り除き、そこにアクリル製のレンズを入れるという方法もあるそうですね。これなどはまさに、人工物を体に入れているわけですが、「生身の人間らしくないから手術はやめよう」という人はいないでしょう。 

石黒 機械と人間は、材料の違いだけで本質的な差はないんですよね。 

武田 ロボットと共生している姿、それこそが人間らしい自然な状態なんですね。 

石黒 メガネと似ていますが、服を着ているということは、生身の皮膚で生きるのをやめているということですからね。洋服が多様になっているのは、体の意味がなくなっているからだと思います。体は脳のおまけになってきた。昔は、体がなければ働けなかったんですけど、今はそういうこともありません。 

武田 小規模な農業や漁業など、昔の仕事は肉体がなければできませんでしたね。でも工業が発展し、あらゆる産業が機械化されてきました。 

石黒 力仕事はもう、重機やロボットがやってくれますからね。 

武田 能力の拡張という視点で考えれば、ショベルカーは腕を、車は足を、望遠鏡は目を拡張している、といえますね。 

石黒 機械の力を借りるなら、体はそんなにタフである必要がない。ただ、人とコミュニケーションするときに、顔を見たりジェスチャーしたりするのに使っている。だから、今の体は「表現する手段」の意味しかほとんどないと僕は思うんです。だいたい、生身の体は不自由ですよね。手は2本、足は2本と決まっているし。 

武田 そうではない可能性もあると? 

石黒 手が4本で、足が10本のほうが、動きやすいかもしれませんよ。生身の体というのは、制約以外の何物でもないんです。もし体が機械だったら、どんな形態の体でも持てます。足にロケットをつければ、歩くだけでなく飛べるかもしれない。これって、ダイバーシティですよね。 

武田 人種や性別などで分けるのがバカバカしくなるくらい、多様な人間が現れる可能性があると。 

爆発的進化は、今後も起こり得る 

石黒 僕らが体を機械に置き換えることができたその時、古生代カンブリア紀に今の動物につながる種が一気に出現した「カンブリア爆発」がもう1回起こるのだと思います。 

武田 人工生命研究者の池上高志先生がおっしゃっていたのは、最近の研究では、大半の生物は10万年~20万年前にこの世に出現し、中間種は存在しないと考えられているそうです。池上先生のコンピューター上の進化のシミュレーションでは、ある時突然爆発するようにたくさんの種類の生物が現れるらしく、まさにそれに近いことが起こったのでは、とおっしゃっていました。 

石黒 爆発的な進化は、今後も起こりえますよね。人間は、原始的な生物だった頃は水中にいて、肺機能を発達させて陸に上がってきたわけです。ここからさらに、何らかの変異を起こして宇宙に出ていくこともありえると思うんですよ。 

武田 順番的に考えると、そうかもしれません。ずっと地球にいるとは限らないんですね。 

石黒 人間は現状がすべてだと思ってしまいがちですが、スケールを変えて考えることが必要なんです。今、人生100年時代だと言われていますけれど、10万年生きられるとしたらどうします? 

武田 10万年の寿命! 想像もつかないですね。 

石黒 宇宙の歴史からしたら、10万年なんてすごく短いです。今は東京と大阪の移動時間が片道3時間くらいです。10万年の人生なら、隣の星との移動時間が3時間くらいの感覚になるかもしれない。でもそのためにはカンブリア爆発を起こす必要があるかもしれません。 

武田 機械の力を借りて、有機物から無機物に向かっていくんですね。はじめは突拍子もないお話しだと感じられましたが、うかがっているとこの先のストーリーはそれしかない、という気持ちになってきました。 

石黒 無機物化すれば、体の制約を超えられるはずです。今の人間の形態がゴールだとは決して思えません。よく「地球に異変が起きても生き残る体とは、どんなものだろう」と考えたりします。機械の体に置き換わり,その直後に起こるカンブリア爆発が、人間を次の進化の段階につれていくのでしょう。 

石黒浩(いしぐろ・ひろし) 1963年生まれ。大阪大学基礎工学研究科博士課程修了、工学博士、京都大学情報学研究科助教授、大阪大学エ学研究科教授を経て、2009年より大阪大学基礎工学研究科教授。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェ ロー) アンドロイドやジェミノイドなどのロボットを多数開発するなど、知的システムの基礎的な研究を行う、2011年に大阪文化賞を受賞。また、2015年には、文部科学大臣表彰受賞を受賞。主な著書に「ロボットとは何か」(講談社 現代新書)、「どうすれば「人」を創れるか」(新社)、「アン ドロイドは人間になれるか」(文春新書)などがある。