JOURNAL とは?

1996年、学生ベンチャー[エイベック研究所]としてインターネットの大海に船出したクオン株式会社。世界の誰もがつながりうる社会に「コミュニティ(多様で生き生きとした、高品位な双方向ネットワーク)」を実現すべく、目まぐるしい技術革新や経営環境の変化に対応しながら、今日まで航海を続けてきました。このJOURNALは、ソーシャルメディアの台頭に見られる「つながる時代」に、ネットワークのクオリティ(Quality Of Network)の追求が重要なテーマと考えて社名に冠した、クオンの代表 武田隆が、各種メディアでの対談を通じて多くの企業経営人やアカデミアなどの識者から得た「学び」を掲載した「クオンの航海日誌」であると同時に、今もなお多くの人々にとって“気づき”につながる示唆を含んだ「知の議事録」でもあります。JOURNALの2本の柱「企業の遺伝子」「対談:ソーシャルメディア進化論」に通底する、事物の「量」では計りきれないその多様な内容に向かう眼差しが、インターネット時代を生きる皆様の羅針盤になれば幸いです。

  1. HOME
  2. 対談:ソーシャルメディア進化論
  3. “ドラえもん”はALIFEで“ひみつ道具”はAI。将来社会を良くするためドラえもんが必要だ 

対談:ソーシャルメディア進化論とは?

世界の誰もがつながりうるインターネット時代、私たちを取り巻く文化や経済、社会はどう変化していくのか? 日本最大のファンコミュニティクラウドで300社超のマーケティングを支援してきたクオン代表 武田隆が、各分野を代表する有識者との対談を通し、未来を読み解く「知」の最前線を探索します。(2012年〜2019年、ダイヤモンド社が提供するビジネス情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」にて公開されました)

“ドラえもん”はALIFEで“ひみつ道具”はAI。将来社会を良くするためドラえもんが必要だ 

AI(Artificial Intelligence)についての議論がかまびすしい。「AIで何ができるのか」に始まり、「AIの普及で仕事を奪われる」といった悲観論まで、AIをめぐるトピックは多岐にわたる。その幅広さはすなわち、AIへの注目度の高さの表れと見ることもできる。ことほどさようにAIについての議論が高まっている昨今だが、カオス理論や人工生命をテーマに研究を続ける池上高志 東京大学教授は、「AIとはつまり『自動化ロボット』。これからの社会を良くしていくには『自律化ロボット』が必要だ」と語る。果たしてその真意とは?

分子学的視点ではなく全体をそのまま理解しようとする

武田隆(以下、武田) 今回は、カオス理論や人工生命をテーマに研究されている池上高志先生に、「カオスの時代に企業はどう勝ち残るか」というテーマでお話を伺います。池上先生は、もともと物理学を専攻されていたんですよね。 

池上高志(以下、池上) はい。ずっと生命に関心があったのですが、学生の時は、生物学に進むのは気が進まなかったんですよね。当時は分子生物学の研究が盛り上がっていたものの、「ものを分解すればわかる」という考え方に、なんとなくなじめませんでした。 

武田 分子生物学というと、分子のレベルで生物の構造を解明しようという学問ですよね。 

池上 ええ。ただ、それで「生命とは何か」がわかるとは思えなかった。そもそも自分自身が「生命」なので、生命の存在を当然だと思う発想から抜け出すのは難しいものです。 

武田 当たり前すぎるくらい自明だと思っているものを証明するとなると、たしかに途方に暮れてしまいます。 

池上 そこで、生命を物質の問題ではなく、数学の問題と捉えてみたらどうだろう、と考えました。数学的な構造が同じであれば、どんなものでも生命であると言えるのではないか。「生命とは何か」をわかるには、それくらい普遍化が必要だと思ったのです。 

武田 その流れから、「人工生命(ALIFE:Artificial Life)」の研究に取り組まれるようになったということでしょうか。 

池上 はい、1992年から複雑系のアプローチで研究を始めました。「人工生命」をつくる、といっても、生命現象を原子分子のレベルからつくるということではありません。僕がとったのは、あたかも生命のように見えるシステムをつくり出し、そこから「生命」というものを研究するというアプローチです。最初は、コンピュータを使って、生命の生態系モデルや免疫システムが自己と非自己をどのようなネットワークで選り分けるのかというシミュレーションなどをやっていました。その後は、自分で動いて環境データを集めることで知覚を創り出すようなロボットをつくったり、水の中を自分で動く油滴を使って自律性の研究をしたりしていました。

武田 池上先生は、アルス・エレクトロニカというメディアアートに関する世界的なイベントやメディア芸術祭などで、賞をとられたりもしていますよね。研究者でありながら、アート作品もつくっていらっしゃる。

池上 アート作品は「生命」に近いものをつくる過程で生まれたものです。例えば2007年には、渋谷慶一郎さんとテイラー=クエットの乱流生成装置を使ったインスタレーションをつくりました。この装置は、筒が2つ同軸に重ねてあり、その隙間に水が入っています。内側の筒を回転させ、速くしていくと、秩序立った流れがどんどん乱れてくる。これは、カオスをつくる最も簡単な物理システムの1つであり、僕にとっては「生命」に近いものなんですよね。2010年に発表した「マインド・タイム・マシーン」は、6×6メートルの空間に3面のスクリーンを置き、15台のカメラによって、映像を制御・ループするシステムです。これは、YCAM(山口情報芸術センター)に展示した3ヵ月間で場の映像を蓄えさせ、その「記憶」をもとにして人工の「意識」がつくられることを目的としました。

「Mind Time Machine」(YCAM, 2010) 写真提供:池上高志教授 撮影:新津保健秀 

武田 2016年には、人間にそっくりのアンドロイドをつくり、研究していることで有名な大阪大学の石黒浩先生と、共同で作品をつくられましたよね。 

池上 「機械人間オルタ」のことですね。オルタは、脳や脊髄の繰り返しパターン生成器をシミュレートした「Central Pattern Generator(CPG)」とニューラルネットワークによるコンピュータ制御で動くアンドロイドです。各関節のCPGは非線形にゆるくつながっているので、体の動きに応じて自発的に周期性が破壊され、カオス的な運動を創り出します。また、オルタの周りにはセンサーを置き、環境を読み取って自発的に反応するようにしました。制御された動きをするアンドロイドよりも、このように環境との相互作用で動きが作られるアンドロイドのほうが、「生命らしさ」が表現できたと思っています。

大阪大学石黒研究室(石黒浩教授・小川浩平助教授)、土井樹(東京大・池上研)と共同制作したアンドロイド「機械人間オルタ(Alter)」 写真提供:池上高志教授 

武田 先生がとられている「複雑系」のアプローチは、これまでの科学とは考え方が違うのでしょうか。 

池上 これまでの科学というのは、何か原理があって、それで出ているデータをすべて説明できる、というものでした。でも、本当にそうなのでしょうか。例えば、武田さんが通っていた小学校の見取り図を圧縮するとします。細部の情報を削ぎ落として「小学校の校舎」というイメージをつくったとしても、それで本当に武田さんが通っていた小学校だとわかるでしょうか。

武田 たしかに、私としては、校舎の中で友だちとよく遊んだ場所や校庭の片隅にこっそり埋めたタイムカプセルのありかなど、そういうところが削ぎ落とされてしまっていたら、その小学校だと言われてもあまり腑に落ちないでしょう。 

池上 そうですよね。そういう例外的なものこそが大事だと思うんですよ。共通原理を探すのではなく、例外的なデータや1回しか起こっていないからと捨ててしまったデータを全部寄せ集めることで、初めて腑に落ちるイメージが描けることもある。 

武田 モデルや数式を立てて現実を理解するのではなく、現実にあるものをとにかく集めるんですね。

「全部入りラーメン」で見えてくる極限

池上 この、ぐちゃぐちゃでもいいから全部集めるとわかることがある、というのを、僕は「全部入りラーメン」と表現しているんですけど(笑)。 

武田 それは、ラーメンに卵とかチャーシューとか、あらゆるトッピングを全部乗せるということでしょうか(笑)。普通、あまり全部は乗せませんよね。 

池上 そう、全部乗せちゃうと大変なことになりますからね。でも、全部乗せないとわからない境地があるのではないか、と。科学では通常、極限まで削ぎ落として原理を見つけようとする。これはミニマリズムの極限ですよね。でも、その逆の極大主義、マキシマリズムの極限でしかわからないものがあるかもしれない。その科学をつくれないか、というアプローチを2008年くらいから始めたんです。あと、複雑系では生命を理解するときに、メタファー(暗喩)を超えた理解の仕方をつくろうとします。例えば、脳ってよくコンピュータのメタファーとして語られますよね。

武田 神経回路がCPU、記憶がメモリ、そして無意識がハードディスクなどと説明されることが多いですね。 

池上 でも、そもそもそのメタファーが適切なのかどうか、という問題があります。メタファーを元にものを考えて、理論をつくり、どんな実験をするか決めるという場合、最初のメタファーがおかしかったら、すべてが間違ってしまう。人は一度決めたメタファーに縛られやすいけれど、実際に起こっていることを見たら、そのメタファーでは説明できないことが多かったりするんですよ。

武田 コンピュータがわかったからといって、脳がわかったことにはならない、ということですね。 

池上 ええ。例えば最近だと、脳にはデフォルト・モード・ネットワークといわれる回路があることがわかってきました。これは脳の色々な部位をつないで成り立つ大局的な回路で、何もしていない時、何も考えていない時などの安静状態において活動しているんです。その活動が、人の創造性や記憶の整理に関係していると言われています。これがコンピュータだったら、何もしていない時はスリープしちゃうだけですよね。なぜ脳にはデフォルト・モード・ネットワークがあるのか。それはやはり、脳は道具やツールではなく、生命としてサバイブするためのシステムだからでしょう。コンピュータは何らかの形で脳とは関係があると思いますが、目的的には脳とは別のものなんですよね。それをわかっていたほうがいいと思います。

武田 複雑な物事を理解するためにメタファーを利用するのは便利ではありますが、単純化しすぎることのリスクもあるということですね。
 ところで、現在よく話題になり、研究も進んでいる「人工知能(AI:Artificial Intelligence)」と「人工生命(ALIFE:Artificial Life)」はまた領域が違うのでしょうか。私の理解では、AIはエンジニアリングの方面で、介護ロボットや掃除ロボットなどを機能させる研究を進めている。一方、人工生命はそうしたロボットに意識や意欲は生まれるのか、ということに関心を寄せている、という違いがあるのかと。

池上 そうですね。人工知能はいま、工学の分野で、頑張れるところに向かって頑張っていますよね。「頑張れること」というのは、「囲碁を強くしたい」「自動で運転できるようにしたい」といったことです。これは技術を注げばできる。でも、「優しいロボットをつくりたい」となったら、どうしたらよいのでしょうか。

武田 頑張りどころが難しいですね。

ドラえもんは「自律化」したロボット、ひみつ道具は「自動化」

池上 評価関数が富士山型だと、どこが頂上だかわかるので、頑張りやすい。でも、八ヶ岳みたいに山がたくさんあったり、むしろ山がなかったり、あるいは高い山に登っていたけれど、次の瞬間にそこが一番谷底になっちゃったり、となると、どうしたらいいのかわからない。この「わかりやすい山」がないほうが、人工生命の分野、複雑系です。あと、人工知能と人工生命の違いとしては、ロボットの「自動化」と「自律化」の違いという説明もできます。

武田 なるほど。「自動化」というのは、これまで人間が行っていた作業をロボットに代替させるということですよね。

池上 ええ。例えば、空港に監視カメラを何十台も仕掛けてテロリストを見つける、というような仕組みです。これは、ディープラーニングなどで学習した人工知能が得意な領域でしょう。一方で、「自律化」というのは、それそのものが考える仕組みです。ロボットが社会に入っていって人間と協働するようになるには、こちらが必要になるでしょう。

武田 自動化が必要な領域と、自律化が必要な領域があるんですね。 

池上 はい。空港の手荷物検査などは自動化すればいいですよね。自動化は、人がやりたくないところ、人よりもよくできるところでどんどん進めたらいい。そうではなく、人間もいるところで、人間と一緒に働くロボットは、自律化の領域だと思います。例えば、ドラえもんは自律化したロボットですよね。

武田 たしかに、ドラえもんはプログラムで動いているわけではなく、ドラえもん自身が考えていますね。

池上 ドラえもんのひみつ道具はAIや機械、つまり「自動化」の道具なんです。もし4次元ポケットだけあって、道具が引き出し放題だったら、のび太はろくなやつにならないですよ(笑)。ドラえもんがいるから適切に道具を使えるし、道具を使うことでのび太は成長する。この「適切に」というところが大事なんです。だからのび太という人間のために、「自律化」したロボットであるドラえもんが必要なんです。

武田 ドラえもんと言われて、一気に自律化ロボットのイメージが湧きました。AIでいうと、仕事が奪われるといった不安を抱いている人も多くいます。例えば、病院の外科手術なども今後はロボットに代わっていくかもしれません。このロボットは、自動化ロボットということですよね。 

池上 そうです。でも自動化ロボットがいれば、病院の主目的である病気や怪我を治すということが果たされるかというと、そうではないと思います。自動化ロボットで病気や傷を治療できたとしても、精神的に癒されることがなくて回復しないかもしれない。生命を持つものと人間のふれあいって大事なんですよね。 

武田 病気の原因を取り除けば治る、という単純なことではないとしたら、もっと家族や好きな人と一緒にいることが必要だったり、全体としての関係性を修復したりすることが必要なのかもしれない、ということですね。 

池上 そういうときに必要なのが、自律化ロボット、自律システムだと思うんです。自律システムというのは、こちらの思い通りにならない。色々葛藤や戦いがあった結果として、受け入れるしかないと思うようになる。そして、この「受け入れるしかない」というところに、尊敬や友情が生まれるんです。完全にこちらがコントロールできる相手に、友情や尊敬、協調行動は生まれないでしょう。

池上 そして、そういう相手と一緒に何かをやることで、癒やされたり、元気になったりする。いまはAIについての議論が主流で、自律化ロボットについての議論はほとんど見られません。でも僕は、これからの社会を良くしていくには自律システムが必要になると考えています。そのためには、合理化、最適化を目指す考え方から抜け出さないといけないんですけど。自律化は、最適化を目指さないんですよ。

武田 「最適化」ではないとすれば、正解が1つに定められないわけで、個々人で解が異なるということですから、自律化とはハーバート・A・サイモンが言うところの「満足化」に当たるかもしれませんね。

池上 そうですね、満足化というのはいい表現ですね。

武田 私たちが運営のお手伝いをしているオンラインコミュニティでは、最適化では説明できない行動がよく見られるんです。例えば、ある商品のコミュニティのユーザーは、ショッピングサイトではなく、必ずその商品の公式ECサイトから商品を買います。実はショッピングサイトのほうが500円も安く買えるのですが、そのことを知っていながら、わざわざ価格が高い公式サイトを選ぶ。それは、自分が好きで応援している商品の公式サイトから買うほうが「気持ちがいいから」だと、ユーザーは異口同音に言うんです。人の満足は個別具体的なもので、共通の基準で測れるものではないんですよね

池上 それは面白いですね。すごく生物的だと思います。

「全部入り」でないと見えてこない、真の消費者の姿

武田隆(以下、武田) 先ほど、共通原理を探したり、シンプルなモデルを立てたりすることから考えるのではなく、「全部入りラーメン」のアプローチ、つまりそこにあるデータすべてを拾い上げて見ていくことで、初めてわかることがあるというお話がありました。それは、現在のマーケティングにもつながるところがあると思うんです。

池上高志(以下、池上) ほう、どういうことでしょうか。

武田 これまでのマスマーケティングの世界では、「商品やサービスの利用者を1つに絞ることができれば勝てる」という考え方でした。商品・サービスの架空のユーザーである「ペルソナ」を設定したり、F1層、M2層などと消費者を性別や年齢などで切り分けたりして、顧客像を1つに絞って戦略を立ててきたのです。ところが近年、市場が成熟した結果、そのモデルからこぼれ落ちる消費者のリアルや個性が目立つようになってきました。シンプルに理解することでマーケティング戦略をうまく立てられる、というパラダイムが変わりつつあると思うんです。これは、世界が豊かになり、複雑化してきたからでしょうか。

池上 僕が、例外的なデータもすべて寄せ集めることでしか世界は理解できない、と考えるようになったのは、2008年ごろからです。このころに、ルービックキューブの最大の手数が20手であることがGoogleによって示されました。ゼブラフィッシュの64個の細胞の成長が発生過程からビデオ録画されたのも、MITの研究員であるデブ・ロイ氏が自分の子どもの誕生から3年あまり家の中にビデオやマイクを仕掛けて記録し、人が言語を習得する過程を発表したのもこの時期です。このように、理論不在だけれど過剰なデータによって新しいモノのわかり方が一気に示されるようになったのが、2008年ごろ以降なんです。もしかしたら、武田さんが感じられたパラダイムシフトのタイミングと、重なるところがあるかもしれませんね。ビットコインの基本技術であるブロックチェーンも2008年に登場しています。ペルソナのような仮想的なイメージを決めてしまうと、人間はなかなかそこから離れるのが難しい。先ほど話に出た、「メタファーは便利だが、単純化しすぎることのリスクもある」という点とも通じるのですが、そこから意識的に抜け出せる余地を自分の中に持っていたほうがいいですよね。

武田 簡略化せず、複雑なものを複雑なまま理解する。それが、複雑系のアプローチなんですね。カオス理論というのは、複雑系と隣接したテーマなのでしょうか。

池上 隣接しているとはいえます。けれど、違うものです。カオスというのは、システムの変数、つまり自由度が3つ以上だと、非線形な時間発展を表す方程式に備わっている予測不能性が現れるというものです。

武田 それを聞いて、アルバート=ラズロ・バラバシのネットワーク理論を思い出しました。

 バラバシは『新ネットワーク思考』の中で、ネットワークはベキ法則(編集部注:ある出来事や現象において、分布の偏りが指数の関係になっていること。「パレートの法則」「80:20の法則」などもベキ法則である)に従う、ということを明らかにして耳目を集めました。

カオス現象の説明で使われる「二重振り子」とは

武田 今の世界を見ればわかるように、つながり合うことであらゆるものは指数関数的に複雑になっていく。その点を明らかにしたという意味で、バラバシは重要な役割を果たしたと思います。

池上 そうですね。カオス現象を説明するのによく使われる、「二重振り子」というのをご存知ですか?

武田 振り子の先に、もう1つ振り子を連結した振り子のことですね。二重振り子はカオス現象の典型的な例だと聞いたことがあります。振り子時計のように連結部が1つしかない振り子は左右に規則的に動くだけなのに、連結部がもう1つ増えただけで、途端に一見メチャクチャな動きをしますよね。(Double Pendulum Chaos Light Writing)

池上 そう、あれはわかりやすい例ですね。カオスというのは、目に見えるものですよ。一見メチャクチャなようでいて、ある構造やパターンを持っているランダムなんです。例えば、2つの周波数で振動するものに少しノイズを入れて揺さぶると、こういうある種のパターンが描かれます(下図参照)。

画像提供:池上高志教授

 これが完全にランダムだと、ただ真っ白になってしまうんですよね。構造やパターンがあるから、模様として見えてくるんです。パターンがあるということは、予測可能かもしれないということです。そこで、カオス理論を使って株価の予測をする投資会社を設立した人もいます。それがカオス研究をアメリカで始めた4人のうちの2人、ジェームズ・ドイン・ファーマーとノーマン・パッカード。彼らのストーリーは『ウォール街の物理学者』という本に載っていますよ。

組み合わせるだけでは対応できない時代がやってきた

武田 複雑系か、非複雑系かというのは、線形か非線形かで分けられるのでしょうか。

池上 線形か非線形かは、1つの要素ですね。それだけで決まるわけではないです。こういう説明はできるかもしれません。複雑系は生成的であり、非複雑系は組み合わせ的である。例えば、いま対談しているこの部屋には、いろいろな要素がありますよね。 

武田 そうですね、椅子、テーブル、テーブルの上に置かれたグラス、床、壁、それらの種類、色、質感……いろいろな要素があります。

池上 一言では説明できず、複雑であると言えるでしょう。でも、「組み合わせ的」ですよね。例えば、テーブルの上のジュースを飲んだ瞬間に、椅子が消えたりするわけではない。

 一方で、我々が今、頭の中で考えていること、頭の中の動きというのは、もっと複雑に進行します。昨日食べたものや一昨日会った人、明日の仕事……その他いろいろなことが流れ、それがこれからやりたいことを動機づけ、想像力をかきたて、思いもよらぬものを生み出す。

武田 頭の中ではいくつもの考えや記憶が、浮かんだり消えたりしています。これが「生成的」ということですね。たしかに、組み合わせ的であるこの部屋の中とは違いますね。

池上 計画を立ててうまくやろうとする時というのは、この部屋みたいに組み合わせ的にしたいと思ってがんばるわけですよね。 

武田 それを聞いて、今わかりました。20世紀の経営というのはおそらく、実在の部屋を把握するように、組み合わせ的にやってきたんですね。消費者がまだ物質的な豊かさを手にする前の高度経済成長期は、需要予測が明確に立てられた時代でした。仮に東京で冷蔵庫の世帯普及率が70%で福岡が60%なら、福岡にも少なくともあと10%の伸びしろがあるはずだという予測が立った。需要予測に基づいて計画を立て、計画通りモノを生産できた会社は成長できたし、予測通りに広告宣伝を成功させた会社が勝ってきたんです。ところが物質的に満たされて生活が豊かになってくると、人々の需要は多様化し、予測が立てづらくなります。加えて21世紀にはソーシャルの時代になり、ありとあらゆるものがつながり始めて、不確実性がさらに上がってしまった。近年のマーケターたちは、「以前よりも予測が当たらなくなった」「以前ほどCMが効かなくなった」と自信を失いがちです。しかし実際には、一昔前の先輩たちに比べて彼らの能力が劣っているということではなく、世の中が指数関数的に複雑になっていった結果、極めて予測が立てづらい時代になったということなんですよね。

池上 経営も、より複雑系に近くなっているのかもしれませんね。組み合わせ的と生成的、どちらのほうが進化、発展できるのかはわかりませんが、おそらく両方にそれぞれの良さと悪さがあるでしょう。『利己的な遺伝子』などの世界的なベストセラーで知られる進化生物学者のリチャード・ドーキンスは、自然淘汰などの進化の作用を「盲目の時計職人」と表現しています。時計作りを例にすると、時計を作る時に、1人が全工程を担当していたら、どこかで邪魔が入ると最初から作り直さないといけなくなってしまいます。でも、工場で分業制にすれば、どこかに不備が出たらそこだけ修正すればいい。こうしてモジュール化すると、安定的に作れるようになりますよね。これは、組み合わせ的な良さです。でも、脳内で生まれる思考は、かっちり分かれて安定してはいない代わりに、新しい反応が起こり、これまでにないものが生まれることがあるわけです。

武田 なるほど。両方の良さがあるとしても、社会は複雑系、生成的な方に向かっているように思います。市場が成熟してもはや消費者をひとくくりの「ペルソナ」として捉えられなくなったうえ、インターネット、ソーシャルメディアが生まれて、消費者個々人が創発的につながり始め、世界はさらにカオスな状態になってきている。20世紀の勝ちパターンで成功してきた人たちが、そこから抜け出せずに今もがいているのだと思います。

個人が世界を変えられる時代に企業は今までの前提を覆す必要がある

池上 インターネットによって、疲れてしまっている人も多いですよね。“今”が肥大化してしまっているので。

武田 “今”が肥大化するとは?

池上 東京大学の廣瀬通孝さんに聞いた話ですが、ネットがあれば、過去のデータがどんどん手に入る。昔の文献だって簡単にサーチできます。それをもとに、未来の予測もできるようになった。そのため、“今”に向かって、過去からも未来からも情報が集まってくるということです。

武田 確かにそうですね。その肥大した“今”というものをベースに、より良い生き方を探したり、企業戦略を考えたりすることが課せられている。 

池上 膨大な情報をうまく使えばいいのかもしれないけれど、その方法がまだ見つかっていない気がします。そして、その肥大する現代を生きることに疲れてしまっている人が多いように思います。 

武田 でも一方で、インターネットで大きな力を手にする人たちもいますよね。 

池上 おっしゃるとおりです。例えば、インドの奥地に素晴らしいプログラムを考えられる子がいたとします。その子が、プログラムをネット上に公開したら、それで世界を変えられるかもしれない。これは妄想でも何でもなくて、十分にありえる話なんですよ。

武田 そうするともはや、企業がどんな事業展開をするかということだけでなく、個人が頭の中で何を考えたか、それをどういうかたちでプログラミングするか、ということも世界の行方を決定する大きな要因になりますよね。企業の側も、自社の商品・サービスの開発に注力するだけでなく、予測不能な影響力を持つようになった個人の力も積極的に取り込んでいく必要がある。それが「カオスを経営に取り入れる」ということであり、「ソーシャルを味方にする」ということだ、と。

池上 アカデミアの世界も変わってきていて、Googleはすごい研究成果を挙げても、科学雑誌に論文を出さなかったりするわけですよ。自社のウェブサイトに発表して終わり、とかね。ポアンカレ予想を解決した数学者のグレゴリー・ペレルマンも、証明をarXivという論文の公開・保存用のサイトに発表しただけです。これまでは、研究は大学の研究室で行って、権威ある雑誌に論文が掲載されて、認められるのが最大の評価だった。それが無効化しつつあるんですよね。

武田 インターネットによって、社会の構造が変わってきている

池上 いわゆる権威や制度、皆が暗黙で従っていたことがひっくり返ってきている。これまでは物事にパターンがあり、それがわかるとある程度の予測ができて、安定性もありました。でも今の時代はそうじゃない。企業もこれまでの前提を覆して考えなければ生き残れないですよね。パターンがわからないというのは、制御不能とか暴走するということなので、人は恐怖を覚えるのかもしれません。

武田 “ワイルドな時代”ということですね。そんな時代に、20世紀を牽引してきた企業は生き残りのためにどう振る舞えばよいのでしょうか。 

池上 生き残りを考えるなら、“鎖国”をやめることですね。そして、個人の力を信じ、共創することです。もう、世界的な企業でなくとも、個人が世界を変えられる時代なのですから。あと、企業には最低賃金を上げて、ベーシックインカムに協力してほしいですね。ベーシックインカムは、これからの日本を救う重要な政策だと僕は思っています。

日本はベーシックインカム導入で確実に良くなる

武田隆(以下、武田) 池上先生は、ALIFE(人工生命)とベーシックインカムとを組み合わせることで、日本を救えると考えてらっしゃるんですね。
 ベーシックインカムと言えば、政府が国民に現金を一律で支給する社会保障制度構想です。フィンランドやケニアが実証実験を行うなど、国民の生活を最低限保障する新たなあり方として、いま世界的にも注目が集まっていますが、日本では、有識者から期待の声が上がっている一方で、政府内での導入意向は低く議論も進んでいません。
 ベーシックインカムを導入するということは、その国なり自治体なりといったコミュニティが居住者に対して「生まれてきてくれてありがとう」というメッセージを発することになる、と私自身は考えています。そのメッセージを受け取った居住者は、場へのロイヤルティが高まり、そのことが社会をより活発にすることにもつながると思うのですが、池上先生がベーシックインカムに期待されているのは、どういう理由からなのでしょうか。 

池上高志(以下、池上) AI技術の進化は、自動化と自律化の2つの方向がある、という話をしましたよね(対談第1回を参照)。 

武田 これまで人間が行っていた作業をロボットに代替させるのが「自動化」、ロボットそのものが考える仕組みが「自律化」。前者が“ひみつ道具”で、後者が“ドラえもん”というお話でしたね。

池上 ええ。現在、技術開発が進んでいるのは主に「自動化」の方ですが、そのAIのもたらす自動化と直結して機能するのが、ベーシックインカムだと考えているからです。ベーシックインカムを確立するためにAIが使われるというのが、ベストだと思います。

武田 日本はこれから少子高齢化がさらに進みます。生産年齢人口が減り、その人たちに支えられる従属(老年)人口比率が高まる、人口オーナス期に入りますよね。そこで必要になるのがAIであると。

池上 そう、労働力が足りなくなる時代にAIの技術が発展しているのは、ちょうどいいですよね。

武田 AIの技術が発展し、さらに日本が培ってきたものづくりのエンジニアリングが組み合わさったら、世界に先駆けてロボット大国になれるでしょう。
 しかも、日本は『鉄腕アトム』や『ドラえもん』といった作品にも表れているように、ロボットに対して親和的な文化がある。単純労働はロボットが担い、人々はベーシックインカムで生活するという未来の社会を、他国に先駆けて実現できる可能性はありますよね。

池上 それはそうなのですが……先ほども出たフィンランドやケニアに加えて、インドでもこれから2年以内に州単位での導入が検討されています。でも、日本はそこまでの機運はないですよね。僕はその原因を、日本が商業の国だからと考えています。商業の国であることの弊害って、いろいろあるんです。

武田 例えば、どういうことでしょう?

池上 日本では、ハウツー本でない本は売れず、アーティストはお金がもらえない。貧困にあえいでいる。そういう状況が放置されていますよね。それは、商業(あきない)第一の国だからだと思うんですよ。商いに関係ないこと、儲からないことを軽んじる風潮がある。
 実際、僕のまわりのアーティストたちは、いろいろおもしろいことをやっているのに、年収は300万円以下という人もいて、おもしろい活動は、もちろん収入に結びついていない。一方で、例えば企業経営者には年収数千万円という人がゴロゴロいる。
 世界が断絶しているですよね。富めるものはますます富み、貧しきものはますます貧しくなるという社会は、いったんリセットしたほうがいいと思います。そのためにも、ベーシックインカムの導入が有効だと思います。ベーシックインカムを導入すれば、企業の考え方も変わると思うんですよね。

「それは儲かるの?」だけでは見えない世界がある

武田 池上先生は、研究に関連したメディアアートなどの製作も行っていらっしゃるので、アーティストの方々との親交が深いですね。当社の支局があるベルリンに行くと、アーティストに対する彼我の意識の差を実感します。ベルリンは、チャールズ・ランドリーが提唱した「クリエイティブ・シティ」のひとつです。芸術的才能を持ったアーティストはもちろんですが、エンジニアや科学者、建築家など、新たな価値を創造する能力を持つ層、いわゆる「クリエイティブ・クラス」がひとつの都市にある一定数住むと、その都市の経済は時間差で発展するといわれています。ベルリンはそれを地で行くような都市で、アーティストの支援制度が充実しているだけでなく、アートやクリエイティビティといったものが市民生活のごく身近にあります。私は彼の地を訪れるたびに、この街が「アーティストは世の中に必要な存在」だと考えていることを、街角の至るところで実感します。一方で、日本にはそういう気風はほとんどありませんよね。芸術というと、私たちの生活とはどこか切り離されたものと捉えられがちですし、そもそもアーティストは「芸大を出ないとなれないもの」と思われている節もある。

池上 僕のアーティストの友人たちは今、どんどん日本から出ていっていますよ。アーティストにとって住みやすい国ではないですから、しょうがないですよね。
 ただ、日本は今でも安全な国ではあります。アニメーション作家のデイビッド・オライリーは日本によく来るのですが、「僕は考え事をしながら歩くのが好きなんだけど、ニューヨークやベルリンでは夜中フラフラ歩いていると襲われたりする。日本はそういう心配はないからいいよね」と言っていました。

武田 ここ数年、犯罪の認知件数も減っていますし、やはり日本は治安がいいんですね。

池上 この安全性は世界を見渡すと、貴重なものです。だから、この安全性を担保しつつ、ベーシックインカムを導入すれば世界でも稀な国になると思います。この際なのでこのテーマをもう少し掘り下げたいんですけど、企業というのは儲けることを第一目標にしないといけないものなんでしょうか?あれは2010年頃だったか、Twitterの創業者の1人が来日した際、日本のIT企業のトップも交えて行われたパネルディスカッションを聴いたことがあるんです。当時のTwitterといえば、ユーザーは増えていたものの、収益化はまだまだという状態でした。そのパネルディスカッションで、日本企業のパネリストたちはTwitterの創業者に対して「どうやって利益を上げるのか」ということばかり聞いていて、しまいには彼が怒り出してしまったですね。

武田 それはなぜでしょうか?

池上 「日本に来て聞かれるのは『儲かるのか』ということばかりだ。Twitterを始めたのはおもしろいからであって、儲けるためじゃない。結果的に収益が上がればそれはいいことだけれど、それは結果論だろう」と。
 僕自身にもかつて似たような経験があります。いろいろな企業でALIFE(Artificial Life:人工生命)の研究を説明すると、「で、それが何の役に立つの?」「どうしたらビジネスになるの?」といった質問ばかり。日本企業は、示し合せたように同じことばかり聞いてくるところが多いな、と残念に思いました。

利益を得るよりも、心を豊かにすることを

武田 私がこれまでにいろいろな経営者の方とお話をしてきた中では、利益追求だけではない大きな志や高い視座を持った方にもたくさんお会いしてきましたから、きっと池上先生の研究を聞いて純粋な興味を持つ人も多いと思いますが……。とはいえ、何十年と続いている大企業の経営となると、数千、数万という社員やその先の数百万の顧客といったステークホルダーに対する責任を負っています。その重圧の中で、売上や利益を重視しないわけにはいかない、というのは事実だと思います。

池上 日本はもう、高度成長を望まなくてもよいのでは。それに高度成長が企業の目的のすべてではない。これからの社会で発展するためには、そろそろ利益以外のところにも目を向けていかないといけないと思います。

武田 自社の利益だけでなく、社会に対しても価値を提供することを念頭に置きながら「何のための利益か」を考えることが必要ということですね。
 では最後のテーマとして、池上先生はこれからのAI、そして人工生命はどうなっていくと思われますか?

池上 先ほどの話と関連するのですが、功利主義的な発想から抜け出した世界観が実現するんじゃないかと思っています。人間など今生きているものだけのコミュニティから、生きるというシステムの枠が外れていろいろつながるようになったら、おもしろいですよね。例えば病気になった時、病気の原因を取り除くことはもちろん大事だけれど、それ以上に家族がそばにいてくれるとか、医者や看護師に丁寧に接してもらえるとか、人の触れ合いによって癒やされることが往々にしてありますよね。そういったインターフェイスはいつもセカンダリー(二義的)に考えられがちですが、実は本来はこちらのほうをプライマリー(一義的)に考えなければいけないくらい、とても重要なことですよ。

武田 「心」の問題ですね。

池上 日本ではいつも功利主義が一義的に考えられて、心のことは「結果として幸せになればいいだろう」程度にしか意識されません。でも本当はそこをひっくり返して、心のことを第一義に考えられる世界をつくったほうが、みんな幸せになるんじゃないでしょうか。

武田 功利的なことが最初に来るのは、お金がないと困るからでしょうね。

池上 でもそれは今後、ベーシックインカムとAIによる自動化で解決する。そうしたら、もっと人はどんな社会が理想的なのかを考えられるようになると思います。

武田 先ほどお話に出た、「優しいロボット」ですね。

池上 ええ。「囲碁が強いロボットをつくる」「自動運転を実現する」というなら、技術を注げば実現できる。でも、「優しいロボットをつくる」「みんなが笑顔になるようなロボットをつくる」となると、途端に別の要素が入ってくるので頑張りどころがわからなくなってしまう。こういう話をするとみんな「それは工学の領域じゃない」と言うんだけれど、僕はむしろ、そこを考えるのがこれからのAIやALIFEが担うべき領域だと思っています。 

武田 「優しいロボット」と人間が織り成すコミュニティの未来の姿。これはおもしろいテーマですね。

池上 実現すれば楽しいことが起こりそうですね。ぜひ一緒につくっていきましょう。

武田 なんだかワクワクしてきました。今日は楽しいお話をありがとうございました。 

池上高志(いけがみたかし) 1961年、長野県生まれ。複雑系・人工生命 研究。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士(物理学)。現在、東京大学大学院総合文化研究科・広域システム科学系・教授。人工生命(ALIFE)に新たな境地を切り拓き、研究を世界的に牽引。アート作品でも注目される。著書に『動きが生命をつ くる』(青土社、2007年)、『生命のサン ドウィッチ理論」(講談社、2013年)、 『人間と機械のあいだ」(講談社、2016 年)など

 

 

第1回QONアドバイザー会議
〜Quality Of Networkとはなにか?〜

2020年2月5日 赤坂某所。日本を代表する知識人たちが一堂に集結し、次世代の重要テーマ「Quality Of Network」について、議論を白熱させた。このテーマは、クオン社の社名の由来でもある。1996年、学生ベンチャーとして起業し、多くの幸運に恵まれどうにか生き残ってきた。その幸運のひとつは、知の巨人たちとの出逢いだった。「ソーシャルメディア進化論(ダイヤモンド社/2011年)」の出版を機に紡がれた縁は、縁が縁を呼び、クオンの社格には不相応な重厚で貴重なネットワークとなった。「QONアドバイザー会」はクオンにもたらされた幸運の結晶でもある。「アドバイザー会議」に知の巨人たちが集まる…。この知のネットワークのやりとりをクオン社内に留めておくのは忍びない。アドバイザーのみなさまに、会議全録の記事公開をお願いし、快諾を頂いた。
当日、議論は凄まじい密度で展開された。「クオリティ」とはなにか?「ネットワーク」とはなにか?量と質。マスメディアとインターネット。秩序と混沌。人間とAI、意識と無意識。様々な二項対立の関係が次々と暴かれて行く。「Quality Of Network」について考えるということは、多くの矛盾と向き合って行くことなのだと痛感した。動的に冒険的に。そして大きな野望を持って。「QON」は、「Quality Of Network」 の頭文字だ。「QON」は「クオン」と読む。この音は仏語の「久遠」にも通じる。久遠とは、遠い過去または未来のこと。久遠の視野を持って、同じ時代を生きる皆さまと一緒に、ネットワークの多様な現実と可能性について模索していきたい。(クオン代表 武田 隆)

■参加者 ※敬称略
<アドバイザー>
野中郁次郎(一橋大学名誉教授)/ 松岡正剛(編集工学者)/ 村井 純(慶應義塾大学教授)/ 松田修一(早稲田大学名誉教授)/ 池上高志(東京大学大学院総合文化研究科教授)/ 佐野弘明(元株式会社電通常務執行役員)
<社外取締役>
アレン マイナー(サンブリッジグループCEO)/ 國領二郎(慶應義塾大学教授)

会議の全録を読む