ラジオ番組「企業の遺伝⼦」 2026.08.17

ラジオ「企業の遺伝子」Vol.594公開されました(ゲスト:下高井戸シネマ 木下陽香氏・第1週目)

当社代表 武田隆がパーソナリティを務めるFMラジオプログラム「企業の遺伝子」で、有限会社シネマ・アベニュー取締役で下高井戸シネマ支配人 木下陽香(きのした・はるか)さんをゲストにお迎えした第1週目の放送が公開されました。

今回は、下高井戸シネマの成り立ちについて伺います。

東京・世田谷の街で、およそ70年にわたり映画を上映し続けてきた「下高井戸シネマ」。126席の小さな映画館には、デジタル作品だけでなく、いまでは都内でも貴重となった35mmフィルムを上映できる設備が残されています。

その歴史は、昭和30年代前半に誕生した封切館から始まりました。時代とともに上映のスタイルを変え、場所を移し、名前も変えながら映画を届け続けてきた劇場。しかし1998年、当時の運営会社の撤退によって、閉館の危機が訪れます。

そのとき映画館を引き継いだのが、木下陽香さんの父でした。

会社員から独立して映画館を守るという大きな決断。その背中を押したのは、映画関係者だけではありませんでした。手続きを支えてくれた商店街の人たち、さらには借金の保証人を引き受けてくれた地元の人もいたといいます。一つの映画館を残すために、街の人々が力を貸したのです。なぜ、下高井戸シネマはそれほどまでに愛されたのでしょうか。

木下さんの父は、もともと映画監督を志して島根から上京した大の映画好き。独学で映画を撮り、作品が映画祭で入賞したこともありました。しかし、木下さんが生まれたことをきっかけに、映画を「つくる側」から「届ける側」へ。その情熱は、映画館という場所へ受け継がれていきます。

2019年、父の逝去を受け、今度は木下さんが代表に就任します。

父から繰り返し聞いたというのが、「まわりについているものに惑わされず、本質を見極めなさい」という言葉でした。子どもの頃には当たり前だった父の教え。しかし大人になり、映画館を背負う立場になった今、その言葉はどのような意味を持っているのでしょうか。

映画をつくる人から、映画を届ける人へ。そして父から娘へ。時代が変わっても、この小さな映画館に受け継がれてきたものとは何なのか。 下高井戸シネマの歴史をたどりながら、街と映画館、そして親子をつないできた「企業の遺伝子」に迫ります。