生薬の力と施薬の心で子育てに笑顔を
宇津救命丸株式会社
<ゲスト>代表取締役社長 宇津善行さん
※2023年 収録
自然の恵みを取り入れ、400年以上にわたって子どもの心身を整えてきた宇津救命丸。殿医だった創業者の施薬の心を大切に、栃木から世界中の家庭を明るくします。
知花 宇津救命丸は医薬品などの製造販売を行う企業です。「夜泣き、かんむしに宇津救命丸」のフレーズで有名ですね。社名や医薬品名は「うづ」ですが、社長のお名前は「うつ」とお呼びするのが正しいそうですね。
宇津 はい。商品名もはじめは宇津(うつ)救命丸と言われていたのですが、昭和時代にテレビコマーシャルを出すときに「うつ」という響きが伝わりにくかったんです。それで、いつしか宇津(うづ)救命丸と濁るようになりました。
高価な薬を無料で配った初代宇津権右衛門
知花 おもしろいエピソードですね。創業は何年になるのですか?
宇津 2022年に425周年を迎えました。創業者は初代宇津権右衛門で、宇都宮国綱という歴史ある名家の23代目、下野国(現栃木県)のお殿様に仕える殿医でした。ところが、22代宇都宮国綱が豊臣秀吉を怒らせてしまい、改易という領地を没収される刑罰を受けたんです。宇都宮家はあるじを失い、初代宇津権右衛門は帰農して半農半医に。そして現在の高根沢工場がある栃木県塩谷郡で宇津救命丸を創製しました。
武田 初めは誰のために薬をつくったんですか?
宇津 当時は「薬一粒=米一俵分」と言われるほど薬はとても貴重なものだったのですが、宇津権右衛門は村の庄屋のような役割も担っていたので、初め村人の健康のために薬を無料で配っていたようです。
知花 初代宇津権右衛門さんは、どんな方だったんですか?
宇津 実は、江戸時代に何度もうちの菩提寺が焼けてしまって、初代の情報がほとんどないんです。ただ、彼は「施薬」という周囲の健康のために全力で尽くすという考えを持っていて、宇津救命丸を無料で配ったり、貧民を集めてお風呂に入れたり、薬師堂というお堂をつくって祈りの場を提供したりしていたと聞いています。当社は今もその思いを受け継いで消費者の皆さまの健康のために尽力しています。
知花 歴史ある宇津救命丸なので、きっといろいろな話が伝わっているんでしょうね。
宇津 はい、宇津救命丸の処方にまつわるこんな言い伝えがあります。初代宇津権右衛門が庄屋をやっていたところ、旅の僧侶が門前に倒れていたので手厚く看護したそうです。結局僧侶は亡くなってしまったのですが、今際の際、お礼にと言って宇津救命丸の処方を書き残してくれたと。宇津家にずっと伝わるお話です。
知花 今でも当時と同じような処方でつくられているんですか?
宇津 そうなんです。
知花 お薬の箱の裏を見るといろいろな成分が入っていますが、貴重なものもあるんですよね。
宇津 一番貴重なのがゴオウです。私が仕入れに関わっていた12、3年前は、1キログラム120万円くらい。今は円安の影響もあってものすごく高騰してしまって、1キロ1000万円なんてことも。もう金より高いくらいです。
知花 1キロ1000万円! 日本ではとれないものなのでしょうか?
宇津 ゴオウは病気の牛から取れる胆石なんです。日本の牛に胆石ができることは少ないので、オーストラリアかブラジル産ということが多いですね。最近は中国なんかが豊かになって生薬の需要が伸びていて、世界的に生薬の争奪戦が起こっています。
知花 宇津救命丸が生まれた当時は日本にもゴオウなどはあったんですか?
宇津 はっきりとした情報はないのですが、あったと思いますね。私の仮説では、改易を受けた宇都宮国綱が家を復興するため、宇津権右衛門と一緒に朝鮮出兵し、大陸でゴオウとかジャコウとか貴重な生薬と、薬の処方を手に入れて持ち帰ったんじゃないかと。その後、日本古来の生薬と合わせて宇津救命丸をつくったんだと思います。当社以外の古い製薬会社の資料を調べてみると、同じようなルーツが残されていますね。個人的には、さきほどの僧侶の話は〝伝説〞だろうと思います。
戦時下で万人向けから子ども専用薬へ方向転換
知花 長い歴史の中で転機になった出来事はどんなことでしょうか?
宇津 一番の転機は明治維新です。江戸時代の士農工商がなくなり資本主義という考え方が入ってきて、宇津家も家業から企業へと変革した時期でした。具体的な変化を一つ挙げると、大人も子どもも飲める万能薬として知られていた宇津救命丸を、明治後期頃から子どもの専門薬としました。いろいろな薬が台頭してきて、差別化が図れなくなったし、当時、子どもたちの健康状態が非常に悪かったんです。
武田 戦争がありましたからね。
宇津 おっしゃる通りです。国全体が困窮していて、特に地方の子どもたちの栄養状態が悪く、生存率も非常に低かったと。なんとかしたいという家長の思いから、宇津救命丸を子ども専用のお薬に方向転換したと聞いています。
知花 宇津救命丸は子どものむしけとか、かんむしに効くんですね。
武田 むしけやかんむしの「むし」って、漢字で書くと「虫」ですよね。なぜ虫なんですか?
宇津 昔、病原体とかウイルスが発見されていない頃、子どもがかんしゃくを起こすのは、得体の知れない虫が体の中に入って悪さをしているからだと思われていたんです。現在は、自律神経の乱れが原因だと言われていますが、未だに症状名に「虫」が残っています。宇津救命丸には8種類の生薬が含まれていまして、これらが自律神経を整えてくれます。
とことん自然由来にこだわった和漢薬
知花 さきほど武田さんがちょっと味見されていましたが、大人が飲んでも問題ないですか?
宇津 飲んでもまったく問題はありません。一応15歳までを対象にした商品ですので、大人が飲んだ場合の効果は言えないんですが……。
武田 なんだか普段の収録よりも気分が落ち着いている気がします(笑)。
知花 効き目ありですね。私には小さな娘がいて、イヤイヤが激しくて手が付けられないときがあるのですが、普段からなるべく薬を飲ませないようにしたいと思っているので、泣くことに対して薬をあげるのは勇気がいるなあと。消費者の方々はどんな反応ですか?
宇津 知花さんのお気持ちはわかります。少し前まで日本では「子どもの夜泣きくらいで薬を飲ませるのは親が楽したいから」なんて批判されることもありましたしね。でも、今は合理的な考えの方が増えてきているように思います。夜泣きやかんむしの原因は自律神経の乱れであることが多く、放っておくと赤ちゃん自身の不眠や不調につながる場合もあるんです。宇津救命丸は漢方の考えに基づいて日本の生薬も配合した和漢薬なので、飲み続けることで自律神経が整い、体質が改善してかんしゃくを抑えられるのです。
知花 そう聞くと飲ませてみたくなりますね。
宇津 それに子どもの夜泣きが続くと、親自身も眠れなくて、いらいらしてお子さんに当たってしまうなんて声も聞きます。私はよくセミナーなどで、お父さんお母さんに余裕がない状態も問題だよね、と話をしてたくさんの方に共感していただいています。
知花 本当にその通りだと思います。
宇津 もちろん、夜泣きやかんむしを改善するには、薬を飲む以前に生活全般を改善する必要があります。例えば、規則正しい生活をすること、十分に睡眠すること、親子でスキンシップしたりコミュニケーションしたりすることも自律神経の改善に役立つんです。でも、現代のお父さんお母さんはお忙しいですし、どうしても難しい場合には、こういう宇津救命丸のような和漢薬も選択肢に入れていただければと思います。
武田 和漢薬は自然の恵みということも安心できますね。
宇津 宇津救命丸の原料はすべて自然由来で、植物の葉や根など乾燥したり蒸したりした生薬を自社で粉砕し、そこに高根沢でつくったお餅を混ぜるんです。
知花 お餅ですか?
宇津 はい、お餅を砕いた寒梅粉というものを混ぜるんです。そして丸く成形して、自然からとれる金箔や銀箔を貼って製剤化します。ここまで自然由来のお薬って少ないんですよ。
多彩な業界で経験を積み宇津救命丸へ
知花 19代目となる宇津善行社長は、大学をご卒業後、プログラマーとして一般企業に就職されたとか。その後、製薬会社で営業をされ、さらに会計事務所、ベンチャー企業などで経営のご経験を積まれた後、31歳で宇津救命丸に入社されました。最終的に家業を継がれたのは、宇津家の長男として継ぐように言われたのでしょうか?
宇津 いえ、祖父も父も、親戚も、長男だから継げという人はいませんでした。ただ、自分が子どもの頃、宇津救命丸のコマーシャルが頻繁に流れていたので友人にも学校の先生にも私が宇津救命丸の宇津だと知られていて、家族以外からは継ぐんだろうと言われていました。それに対する反発心から、初めは違う業界で好きなことをやりたいと思って。
武田 ご実家は400年の伝統がありますから、本気で向き合うには覚悟がいりますね。まったく別の業界に飛び込むと聞いて、家族は止めなかったんですか?
宇津 初めは止めませんでした。でも、しばらくして、「もうそろそろどうだ?」と直接話がありまして。それで、会計事務所などに修業へ出された後、宇津救命丸に入りました。
知花 タイミングを見計らっていらしたんでしょうね。でも、外でのご経験って、きっと継いだ後も活きてくるでしょうね。
宇津 広く知識を得られたので、今の仕事に役に立ってると思います。
救命丸の製法は長い間、長男だけに口伝で伝えられた。調合するときは、心構えを説いた製薬信条(上)
にしたがって斎戒沐浴し、宇津誠意軒(下)の中で一人きりで行われた。
昔の製薬道具。小さな粒をつくるためにさまざまな工夫がされた。
会社の古い体質をDX化で一気にテコ入れ
知花 宇津救命丸に入社したとき、どう感じられましたか?
宇津 初日にとまどったのを鮮明に覚えています。社内の雰囲気が暗かったんですよ。新しいことにチャレンジする考えは一切なくて。業務面で言えば、すべて紙の帳簿に記録していて月次決算もない、まだパソコンを持っていない社員がいて受発注はファックス。改善すべきことがたくさんある印象でした。私はITが好きだったので、急速にデジタル化を進めました。例えば、当時まだ珍しかったiPhoneの3GSをみんなに配りました。
武田 急なDX化ですね(笑)。
宇津 それもおじさんたちを相手に(笑)。エクセルやパワーポイントの講習会を開いたり、紙の伝票を廃止してオンラインの受発注システムを入れたり、クラウドのシステムを入れたり。並行して、会計事務所での経験を活かして月次決算を導入しました。商品開発にも力を入れて……。
武田 社内の雰囲気はずいぶん変わったでしょうね。
宇津 古い会社なので、今もまだ改善すべき部分はありますが、当時よりは社内の風通しが良くなって、社員が前向きになれているといいなと思います。
知花 お薬屋さんのご長男だから薬剤師の道は選択肢になかったんですか?
宇津 なかったです。もともと理系は苦手なので家族にも勧められませんでした。今、当社はスキンケアなどの幅広いアイテムを扱うようになってきていて、あまり医薬品にとらわれず商品開発ができているという点では、私が無理に理系に進まずに、経営やマーケティングを学んだのが良かったのかもしれません。
栃木に根ざしながら世界で飛躍を
知花 今、力を入れてらっしゃることがあるそうですね。
宇津 日本の出生数は2022年に80万人を切りましたので、今後は売り先を中国などの外国にも求めていかなければと考えています。2015年に「爆買い」という言葉が流行語になりましたよね。中国の観光客が日本の医薬品や化粧品をたくさん買っていかれるわけです。それを受けて当社は2016年11月11日、中国の「独身の日」にスタジオを借りて、ECサイト大手のアリババとオンラインでつなぎまして、ライブ中継で販売しました。これをきっかけに人気が出たのが「ももの葉ローション」です。
知花 ピンクのパッケージの!
宇津 はい、あせも予防のももの葉ローションです。これが大人気になったので、2021年に中国のIT企業と合弁会社を立ち上げて、中国でのブランド認知の向上や、商品開発、販売を一緒に行っています。やはり主力は子ども用のももの葉ローションで、中国向けにパッケージや容器をアレンジして販売しています。
知花 商品に入っている成分は、国外に持ち出しても大丈夫なものなのですか?
宇津 宇津救命丸に入っているジャコウは、ワシントン条約で国際取引が規制されているので輸出はできません。ほかにも医薬品には規制されている成分が入っている場合があって中国での展開が難しいので、今は口に入れないスキンケアからスタートしています。ももの葉ローションは中国のEC市場で毎年売り上げ上位にランクインしていますよ。今後は保湿剤や口周りの保護剤など、いろいろな新商品を展開する予定です。
知花 中国で人気が出たポイントは何だと思いますか?
宇津 中国には同族経営の会社が少ないので、日本の宇津家が守ってきた歴史ある会社ということ、子どものために商品をつくってきたという当社の姿勢に魅力を感じてくれているのだと思います。以前は子ども専用でやってきたことがデメリットだと考えていましたが、今は当社の武器だと思うようになりました。
武田 世界を視野に入れる一方で、400年以上の歴史がある会社ですから地域とのかかわりも大切にされているのではないでしょうか。
宇津 実は2023年4月に本社を東京の千代田区から創業の地である栃木の高根沢に戻すことにしたんです。創業者の理念は、周りの人々の健康と地域のために役立ちたいということ。今一度この理念に立ち戻った上で、さらに飛躍したいという思いで決断しました。
武田 思い切った決断をされたんですね。社内から反対はありませんでしたか?
宇津 ありました。栃木から東京まで片道2時間くらいかかるので。それでも、コロナ禍で地域貢献や地域とのコミュニケーションの大切さをより感じるようになったんですよね。リモートワークも進んで栃木を拠点にしても世界中とつながれるようになったので、社内の理解も得られて実行に移すことができました。
知花 100年後の未来、宇津救命丸はどんな会社になっていると思いますか。
宇津 100年前の祖先は100年後に子孫が中国でビジネスしているなんて絶対に思わなかったでしょうね。ですから100年後は今とはまったく違うステージにいると思います。日本が基盤ではないかもしれないし、宇津家が社長をしていないかもしれない。でも創業者の理念である施薬の心は守ってもらいたいなと。そして一生懸命、社会の役に立てるように努力していれば、100年後も活躍する会社であり続けられると思います。
会社情報
宇津救命丸株式会社
ゲスト
宇津善行(うつ・よしゆき)
大学卒業後、プログラマーとして一般企業に就職。その後、製薬会社での営業、会計事務所やベンチャー企業の立ち上げで経営全般を経験し、2009年、31才の時に宇津救命丸に入社。2022年3月、代表取締役社長に就任。