東電発のベンチャースピリッツ号
TEPCO iフロンティアズ
<ゲスト>取締役兼CMO 冨山晶大さん
※ 2018年収録
エジソンの発電所から遅れることわずか五年で電力事業を始動。
ベンチャー精神あふれる東京電力のDNAが
電力自由化を背景に「愛」と「スピード」を身につけ闘います。
知花 TEPCO i‐フロンティアズ。初めて耳にされた方もいらっしゃるかもしれませんね。
武田 東京電力グループの一員ですね。
冨山 はい、東京電力は2016年にホールディングカンパニー制に移行し、四つに分社化しました。電気をつくる会社の東京電力フュエル&パワー、電気を送る東京電力パワーグリッド、そして電気を販売して各家庭にお届けするのが、東京電力エナジーパートナー。最後に、これらを統括する東京電力ホールディングスです。TEPCO i‐フロンティアズは、エナジーパートナーの関連会社として2017年9月に設立されました。
知花 まだ新しい会社なんですね。では、まず皆さんのルーツとなる東京電力の成り立ちからお聞かせいただけますか?
たった九人で始まった日本の電気
冨山 話は明治期にさかのぼりまして、東京電力の前身にあたる東京電灯株式会社というのが、日本初の電力会社として一八八三年に設立されました。四年後の1887年、本格的に電気事業を開始して、日本にはじめて明かりが灯りました。
武田 明治になって20年。ずいぶん早かったんですね。
冨山 実は、エジソンがロンドンとニューヨークに発電所を開いたのが1882年で、そこからわずか五年後のことだったんです。
知花 すごい。日本って、遅れていたイメージがあったんですけど。
武田 たったの5年で追いついたというのは驚きですね。今でもIT業界はアメリカが一歩先を行ってる感がありますけど、当時は今よりも追いつくスピードが速そうです。
知花 最初に始めた方々がすごいですね。
冨山 発起人は、のちに東京電灯の初代社長になる矢嶋作郎。この人をはじめとして、大倉財閥創始者の大倉喜八郎、銀行家の原六郎といった、合計9名がこの黎明期の電気事業を支えたとされています。
知花 たったの九人で始めたんですね!
冨山 まだ電気という概念すらなかった当時、「新しい時代を切り拓いて日本を豊かにしていくんだ」という旺盛なベンチャースピリッツを持つ人たちが立ち上げた会社だったんでしょう。夜は暗いのが当たり前だったときに、電気という新しい明かりを初めて目にした当時の人たちのワクワク感は、すごかったと思います。
武田 まさにイノベーション、大革新ですね。電灯という漢字も新しかったんでしょうね。
冨山 「未点灯の地域を解消しよう」という強い使命感に駆り立てられていたんじゃないかなと思います。東京で一番最後の奥多摩の山中に電気を通すまでに、東京電灯の設立から13年かかったそうです。
武田 13年かけて一軒一軒、電気を通していったんですね。その仕事って、大変だったと思いますけど、やりがいがあったでしょうね。
知花 私は国連の活動や取材のお仕事でいろいろな国に行きましたが、未だに電気が制限されていたり、使えなかったりするところがあるんです。国全体に電気が行き渡っている暮らしっていうのが本当にミラクルなんだなって、旅をするたびに思います。
契約は多くても「選ばれたことはない」
知花 TEPCO i‐フロンティアズは電気とガスに続く新しい商品を開発することを目的に設立された事業企画会社ということですが、どんな経緯があったんですか?
冨山 新しいサービスをつくろうという気風は、東京電灯以来のベンチャースピリッツとして東京電力の歴史の中で受け継がれてきたんですね。ですから、今までも何度か新規事業の波はあったんですが、その一番大きな要因になったのは、2000年から始まった電力の自由化です。電気というのは、関東なら東京電力、関西なら関西電力というように、そのエリアの電力会社から各家庭や法人に提供すると決められていたんです。それが自由化されると、今度はお客様が自分の意思で電力会社を選べるわけです。何とかこれをつなぎ止めなければ、ということが背景にありました。
知花 何もしなければ離れていっちゃう。お客様の数はどれくらいですか?
冨山 東京電力エナジーパートナーのお客様が、ご家庭の場合で約2000万軒です。
武田 その2000万軒のお宅に電気を届けてきたネットワークがあるから、それを使って何か電気以外の、もしくは電気と関連するものを売っていこうと考えたわけですね。
冨山 そのとおりです。ただ、そうしなければならない理由は他にもありました。電力の自由化は段階的に進められて、家庭にまで及んだのは2016年なのですが、そうした最中の2011年に、福島第一原子力発電所の事故を起こしてしまいました。その責任を重く受け止めて生まれ変わらなければならないという経営状況の変化が一つ。それに、少子化と省エネの推進という社会の大きな流れの中で、エネルギーの需要自体がどんどん減っていくという状況。これはいよいよ本格的に新しいサービスを考えないと、東京電力は立ち行かなくなる。そんな危機感です。
武田 そうしたときに、すでに2000万軒の顧客があることは大きいですよね。
冨山 当初はそれがうちの強みだと思っていたんですけれども、お客様の立場からすると自分で東京電力を選んでいたわけではないんですね。ですから、まだお客様とは呼べない。
知花 なるほど、選ばれたことはないと。ちょっとストイックなお話ですね。
冨山 そうなんです。ですから、この商品は面白いよねって、東電を選んでもらえるような関係づくりから始めたいということで、2016年にエナジーパートナーの中に商品開発室ができまして、私もそこに配属されて新規事業を考えることになりました。
スタートアップと組んで市場発掘
武田 社内の商品開発室から事業会社をつくったのはどんな理由からですか?
冨山 社内で一生懸命に考えてやっていくだけでは、アイデアが形になったときにはもう市場が冷めている可能性もあります。世の中のスピードについていけるような検討体制をつくって、最前線でやろうということになりました。商品開発の機能自体を社外に出してしまおうと。
知花 思い切りましたね。びっくりされませんでしたか、社員の方。
冨山 社員もそうですが、経営層にも驚かれました。でもそこは、明治以来のベンチャースピリッツです。趣旨に賛同して、後押ししてくれました。
武田 商品開発というのは、具体的にはどう進めていかれるのですか?
冨山 世の中にはすでにゼロから考え抜いて新しい商品を出して、徐々に認められつつある先駆者がたくさんいますから、そのサービスをわれわれと一緒に広げていきませんか、共に事業を大きく伸ばしましょう、という形でパートナーを組ませていただく方法を取っています。2000万軒の方々はまだ本当のお客様とは呼べないけれど、しかし接点は確実にあるわけで、それを活かすことでスタートアップの企業が何年もかけて到達する成長を、われわれと一緒にやればもっと早く、一年か二年で実現できるかもしれない。それこそ一軒一軒、そうした呼び掛けをして歩いています。
武田 オープンイノベーションの時代とはいえ、東京電力のような大看板が無名の会社と手を結ばれる。もともと革新の気風がなければ、なかなかできないことだと思います。
知花 もう始まっている事業もあるんですか?
冨山 いま話を進めているのは、「CaSy(カジー)」という家事代行サービスのベンチャー企業です。家事代行というと、お金持ちのご家庭が家政婦さんを雇うようなイメージがあるかもしれませんが、この会社ではもっと気軽に、24時間365日、いつでも予約やキャンセルができるサービスを提供しているんです。9月に当社が設立されて、12月にはもうCaSyさんとの話がまとまりかけていました。
知花 早い!三カ月で新しいビジネスが生まれてしまったんですね。どんなご縁で結びついたのですか?
冨山 われわれの電力も、24時間365日ずっとエネルギーを供給する仕事です。そこを起点に、新会社でどんな領域のサービスを提供していこうかと考えてみたら、これは「暮らしを支える」という視点で広げられるんじゃないかと。暮らしに欠かせない電力をつくる会社から生まれた私たちが、暮らしのサポーターとして電力だけでなく、いろいろなサービスを提供していくわけです。そういった視点でパートナーを探していくなかで、まさに暮らしに直結する家事代行との出合いがありました。
東京電灯創業当時の発電所。1887年(明治20年)11月には送電を開始し、電力需要は急速に増えていった。(左) 火力発電の工程。石油や液化天然ガスなどを燃やしてタービン(中央)を回し、ボイラー(右)で蒸気をつくる。提供:東京電力HD
ボイラー担当から「天候デリバティブ」へ
知花 冨山さんご自身は東京電力に入社された頃、違う部門にいらしたんですよね?
冨山 技術職として採用されて、最初に配属されたのが火力発電所でした。大井競馬場の近くに東京で唯一の火力発電所があるのですが、そこでボイラーを担当していました。
武田 ボイラーですか。えっと、まず火力発電所がどういうものか、よく知らないことに気付きました。
冨山 火力発電所では、石油とかガスを燃やして、その熱からつくった蒸気の力でタービンを回して電気を起こすんです。
武田 なるほど、火がそのまま電気になるわけじゃないんですね。
冨山 はい、電気というのはタービンの回転運動から生まれます。電気はつくり置きができないので、電気がよく使われる昼間は発電所を運転して、夜はあまり使われないので止めてしまう場合もあるんです。週末になるといったん止めて、月曜日の朝、皆さんが電気を使い始める時にまた立ち上げるということもあるんですよ。
知花 電気って当たり前にあるものだから、深く考えたこともなかったですけど、今も電力会社の人たちがそうやってコツコツとつくってくれているんですね。私たちの暮らしにずっと寄り添ってくださっている。そんな冨山さんの転機はどこに?
冨山 入社3年目の研修で、自分で何かテーマを決めて発表することになったんです。当時、アメリカの電力会社が天候デリバティブという商品を出していたのを見て、これは面白いな、これをテーマにしようと決めました。
武田 商品というのは、金融商品ですか?
冨山 はい、電力会社というのはお天気商売なんですね。夏場の気温が高ければ、みんながエアコンを使うから売り上げも増える。反対に、涼しくなると電気の使用量が落ちて利益も減る。天候デリバティブというのは、そのリスクを補償する商品。つまり、気温によって経営状況が変化する事業を営んでいる会社のための保険商品なんです。
知花 面白いですね。いかがでしたか、その発表の反応は?
冨山 残念ながら、ほとんど反応がなく。ただ、そのとき社長がひと言、「せっかく勉強したんだから、東京電力の気温リスクを減らす仕事をしてみないか」と言ってくださって。それで企画部門で働くことになったのが大きな転換でした。そのとき最初に天候デリバティブの契約を結んだのが、東京ガスさんです。
武田 それはすごい。思いっきり競合する会社同士じゃないですか。
冨山 そう思われますよね。でも、夏が猛暑だと消費量が増えて嬉しい電力会社とは真逆で、ガス会社は夏が暑いとうれしくない、涼しいほうが消費が伸びるんです。なぜかというと、気温が低ければ水温も下がりますから、お風呂や湯沸かし器に使う水を温めるのに余計にガスを使うことになりますよね。そんなガス会社と電力会社が手を結べば、互いのリスクを補い合うことができるんです。
武田 販売面では競合しても、経営面では価値を共有することもできる。社会インフラというものの見方、考え方も、もっと柔軟に、自由に捉える必要がありそうですね。
そのサービスに「愛」はありますか?
知花 新しい商品を開発するうえで、大事にされていることは何ですか?
冨山 商品のクオリティにはものすごくこだわっています。電気のように絶えず流れているものを確実に届けるには、あらゆる面で質の高さが求められるんです。それは東京電力のDNAに擦り込まれている部分ですね。例えば今、当社のメンバーがよく口に出す言葉が、「そのサービスに愛はあるか」なんです。
知花 愛、とおっしゃると?
冨山 その商品を提供することでお客様にどんな喜びがあるか、それを自分事として捉えて、そのサービスを愛することができるかと自問するんです。
武田 いやあ、素敵ですね。担当者や開発者の愛がちゃんと通じれば、2000万世帯の方が振り向いてくださるかもしれない。
冨山 それはすごく重要だと思ってます。ベンチャーの方とお会いすると、その愛の強さをひしひしと感じるんですね。それにわれわれがいかに共鳴できるか、ともに愛することができるか、ということです。
知花 今、御社で力を入れているサービスは?
冨山 スマートフォン用モバイルバッテリーの充電サービスを始めました。バッテリーを持ち歩いている方、多いですよね?そういう最近のニーズに対して、充電済みのモバイルバッテリーを一日300円でレンタルするサービスです。
武田 レンタサイクルみたいな要領ですね。ステーションで借りて、翌日は別のステーションで返してもいい。電気も貸し出す時代ということでしょうか。
冨山 今までの電力会社の仕事は、電気をつくって家庭や会社にお届けするモデルだけだったので、こうしてみんながモバイル機器を持ち歩くようになって外でも電気を使いたい状況なのに、そこに供給することができなかったんです。ところが、レンタルの仕組みを取り入れれば、モバイルバッテリーを通じて屋外でも直接、電気を届けることが可能になる。電力会社からすると、これは新しいイノベーションになり得るんじゃないかなと思っています。
100年後は「存在しない会社」でありたい
知花 では、最後の質問です。100年後、TEPCOi‐フロンティアズはどんな会社になっていると思いますか?
冨山 その頃、うちの会社はなくなっているべきでしょう。社員が誰でも気兼ねなくアイデアを出して、それを素早く判断して、いいものはいち早く形にする。それは本来、東京電力の中で自然にできていなくてはならないことです。しかし、実際にはなかなかできないので当社をつくった。ですから、将来的にはこの会社は東京電力にとって必要のない存在になっているほうがいい。そう私は勝手に思っています。
会社情報
TEPCO i-フロンティアズ株式会社