デニムブランドの世界観ごと売る
ライトオン
<ゲスト>代表取締役社長 川﨑純平さん
※2018年収録
郊外型大型店舗展開で成長を続けたジーンズショップ。
価格訴求型の量販店から価値訴求型のセレクトショップへビジネスモデルを転換し、
ブランドの魅力を伝えます。
知花 ライトオンは全国に約500店舗を構えるジーンズセレクトショップ。ジーンズとカジュアルウェアを扱う小売業で成長を遂げている企業さんですね。小栗旬さんや川口春奈さんなど旬の俳優さんを起用したコマーシャルをご覧になった方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。まずは、その成り立ちから教えていただけますか。
川崎 設立は1980年、創業は現会長の藤原政博です。藤原が34歳の時に一人で立ち上げて、高円寺のジーンズショップ一店舗から開始し、徐々に出店拡大をしていきました。
アメリカ軍基地の街で生まれた
知花 当時、ジーンズショップは珍しかったんですか?
川﨑 個人商店として営業している会社が多かったんですが、創業者が事業拡大の想いを持って、企業として大きくなっていった会社がいくつかありました。ジーンズメイトさんだったりマックハウスさんだったり、横並びで共に成長してきましたし、ジーンズショップが一時代を築いていったのかなと思いますね。
知花 創業者の藤原さんは、どんな方ですか?
川﨑 東京・立川の出身で、お父さんが稼業として「まるふじ商店」という衣料品スーパーをされていたそうです。藤原ははじめ一般企業に就職したそうですが、お兄さんに「まるふじを手伝ってくれ」と言われて手伝い始めたら楽しくなって、手伝いではなく自分でやりたいと、独立してライトオンをつくったそうです。
知花 終戦直後の立川市は、米軍の街だったそうですね。周りの街とはちょっと一線を画しているというか、雰囲気も独特だったでしょうね。
川﨑 そうでしょうね。アメリカの方が身近にたくさんいる環境だったのかなと思います。
武田 デニムには早くから触れていたということなんですね。
知花 私も沖縄出身で基地のあるところで育ったんですけど、文化が全然違うんですよ。だからきっと、アメリカのビンテージの世界観の中でご自身の価値観というか、センスみたいなものがつくられていったのかなと思いました。
川﨑 おそらくそうですね。日々アメリカの文化に触れ、実際にアメリカに足を運んだこともあったようですので、アメリカの世界観を自分の店で表現してみたいという想いがあったのだと思います。私も就職のときに他社を含めて店舗を見て回りましたが、ライトオンは飛び抜けて変わっていると感じました。装飾や什器にビンテージやアンティークを使っていたり、ある店舗だと、店の真ん中にアメ車が置いてあったり。
知花 ライトオンという名前になったのはいつからなんですか?
川﨑 創業の時からです。英語の勉強をしてもなかなか出てこないんですが、藤原が米軍の友達に、お店の名前を相談していて出てきた言葉らしくて。「ヤッタ!」みたいな感じで、ノリノリで使う言葉みたいです。
知花 よく映画なんかで聞きますよね。高円寺で営業開始され、阿佐ヶ谷、渋谷、吉祥寺と順調に店舗を増やしたそうですが、どんな転機があったのでしょうか?
八五年「郊外型大型店舗」という発明
川﨑 お店自体は都内で順調に増やしていたんですけども、家賃の高さもあって、なかなか利益を残すまでに至らず、苦労していた部分が多かったようです。そんな中で、たまたま茨城県のつくば市で、万博があった。
武田 1985年、つくば万博ですね。
川﨑 その時に足を運んだ藤原がつくば市に目をつけたんです。つくば市は当時街ができたばかりで、国が「研究学園都市として大きくしていくんだ」ということで大学や研究機関がものすごい数あったんですけれど、商業はまだまだこれからという時期でした。働く人や高所得の方はいるのに服を買う場所がない。実は当時、私は小学生でつくば市に住んでいたんですが、本当に買う場所がどこにもなかったんですよ。藤原がそこに目をつけて出店したのがヒットだったかなと思っています。
武田 郊外なので坪単価も低かったんでしょうね。
川﨑 そうですね。なので、非常に売れる、儲かる店舗だったと思います。幹線道路沿いに駐車場もしっかり用意して、売り場面積も広くて、メンズ・ウィメンズ・キッズがあって、ジーンズだけじゃなくて旬のトップスまで揃って。家族で来て、家族分が買えるみたいなお店でスタートしたようです。
知花 それまでに増やしていた東京の店舗はそのままに?
川﨑 いえ、藤原は見切りをつけるのが早いですから、軸足を移すとなったら、今必要のないものはクローズするという方針で、出店は郊外型、本社も茨城県つくば市に移そうと。
知花 その決断ってすごく大胆ですよね。本当に。
川﨑 常に今を生きているというか、振り返らないタイプですね。商品についても、「こんなの誰も履いてないよね」、「もう流行ってないだろう」と今でも言うので。
知花 かっこいい。会長って普段どういう格好をなさっているんですか?
川﨑 ジーパンやチノパンを履いて、カジュアルです。株主総会や決算説明会の時、管理部のメンバーが「フォーマルな場だから、スーツを着てネクタイ締めた方がいいんじゃないですか?」と言うんですけれど、「いや、これが私たちのフォーマルですよね。誇りをもってジーンズを着れるようにしていきましょうよ」と言っていて。確かにそうだなと。
武田 川﨑さんもそうされているんですか?
川﨑 はい。決算説明会にもジーパンにカジュアルシャツで行っています。
アルバイトから、38歳で社長就任
知花 川﨑社長がライトオンに入社されたのは2002年、ライトオンが右肩上がりのタイミングですよね。大学在学中からアルバイトを始められて、入社後は販売員、店長、経理、総務などでご経験を積まれ、2011年異例のスピードで執行役員に就任されました。すごいですね。2017年11月には取締役に就き、そして今年4月、創業者の藤原現会長の鶴の一声もありまして、なんと38歳の若さで社長に就任されました。
武田 この若さで、全国500店舗以上、アルバイトも含めると6000人に及ぶ従業員を束ねていらっしゃる。会長から指名を受けた時は、びっくりされましたか?
川﨑 驚きはしたんですけど、やれと言われたら引き受けて、やるべきことをやろうと思っただけですね。
知花 たんたんとしていらっしゃる。
川崎 まず会社に愛着があるんです。ライトオンがつくばに進出してきた時につくばに住んでいたので。ちょうど小学校の高学年とか中学校に入る頃で、自分も同級生もみんな、初めて自分で服を買いに行ったのがライトオンなんです。
知花 そうした思い入れがあったわけですね。
川崎 入社した時から、その時その時の役割をしっかりこなそうと思っていました。最初は販売員として、お客さんに合うジーンズを見つけてきて丈を合わせてミシンを縫うところからスタートして、店長になって。その後も、経理だったり総務だったり、その場その場で目の前にある仕事に精一杯向き合ってやってきたので、社長と言われたら、社長としての仕事をこなしていけばいいと思っています。
武田 今回はたまたまミッションが社長だったという感じでしょうかね。
安さではなくブランドで勝負
川﨑 サッカーのポジションで例えると、点を取るフォワードは店舗の人、ゲームをコントロールする中盤の人は商品部の人、経理や総務、システムというのは守りのディフェンダーかもしれないですね。だけどポジションにこだわらず、どこからでもゴール決めてやるぞ!という気持ちはありました。
知花 川﨑さんが社長になられて、まず提案したことってなんですか。
川﨑 そうですね、会社がどこに向かっていくべきかという、旗を立てるようなことですね。世の中の変化はこうだしライトオンの強みはこうだから、私たちとしてはこうすべき、ということを明確にしたかったので。
つくば科学万博が開かれた1985年につくば市に第1号店を出店。以降、郊外型の店舗展開を加速した。
量販店からセレクトショップへ。アイテムごとにただ並べるのではなく、空間にテーマを持たせた売り場づくりを行っている。
武田 6000人のみんなが向かう方向を指し示そうとされているわけですね。
川﨑 当社はもともとブランドをたくさん扱うお店です。Levi’s ®だったりEDWINだったりG-StarだったりChampionというような人気があって話題のブランドを扱っています。
景気のよかった時は、そういうナショナルブランドがCMや雑誌でたくさん広告を出していて、「人気の商品なんでおすすめです」って言うだけでよかった。それがだんだん安くしないと売れなくなっていって、自信を失っていった。
武田 ユニクロやGapで安くジーンズが買えるし、コンビニや大手流通業者が開発するプライベートブランドに協力するメーカーも多い。でもそんな流れの中で、それぞれの「ブランドの想い」みたいなものが消えかけているようで、心配になることがあります。
川崎 そこで僕らはもう一回、「ライトオンで扱うブランドは本物。価格の安さを伝えるのではなくて、全社一丸になって商品の良さをお伝えできるようにしていこう」という意識を持つことが一番大きなポイントになると考えています。
武田 社員の方々みんな、ジーンズが好きなわけですもんね。
川﨑 そう。もともと安売りしたいわけではなくて、ジーンズが好き、ファッションが好きで入った子たちばかりなので、誇りを持って働こうよという意味合いも込めて、軌道修正のメッセージを出していきました。
量販店からセレクトショップへ
知花 社員さんたちの反応はいかがですか。
川﨑 わかりやすいように、「価格訴求の量販店型のビジネスモデルじゃなくて、セレクトショップになろう」っていう言い方をしています。セレクトショップ=かっこいいという感覚があるから、みんなノってきてくれて。仕込む商品の質や販売促進の方法は変わってきたかなと思いますね。
知花 具体的にはどういうお店を目指してらっしゃるんですか?
川﨑 まずすぐに変えられるところで、売り場の組み方から見直しました。今までは「単品訴求の売り場」で、TシャツだったらTシャツのコーナー、スウェットだったらスウェットのコーナーというように単品のアイテムが並んでいて、なかなかいい提案ができていなかった。それをテーマやブランドで括って、おすすめのスタイリングを提案することで、世界観を表現するようにしています。
知花 全店舗がそうなっているんですか?
川﨑 そうですね。お客様の目を引きやすいようLeeやFILAやChampionのロゴを置いたりして。そうするとブランドさんもいろいろ協力くださって、一緒にブランドイメージ を良くしていこうと同じ方向を目指しながら、感度の高い店頭ビジュアルをつくる。そこにライトオンが500店舗あるという強みが出てきて、500店舗の店頭でそれぞれのブランドさんの世界観を表現して、販売員も自信を持って商品の良さをお伝えする。一緒にいい関係が築けてきているように思います。
武田 ライトオンさんは、ナショナルブランドをリスペクトして、大切にするという姿勢を貫いておられる。人間らしさが生きた、メーカーと小売のネットワークがあることに感動します。
「気さく」なのがライトオン
知花 実は私、この間横浜のとある店舗にお伺いしたんです。マネキンが素敵なコーディネートを着ていて、それを一つ一つ手に取れるようになっていて、とても魅力的な店づくりをされていると感心しました。女の子たちもきゃっきゃと楽しそうにショッピングをしていました。
川崎 ありがとうございます。ライトオンは気さくでありたいんですね。いいブランドを扱いながらも、気軽に入って、ひとまずジーパン試してみようかな、という感じであればいいなと思いますね。
知花 ブランドさんの店舗って、ちょっと気が引ける部分があるというか、敷居が高かったりしますしね。
川﨑 初心者も入りやすい、フレンドリーなセレクトショップを目指したいです。
知花 これは最後に皆さんに伺っているんですが、100年後の未来、ライトオンはどんな会社になっていると思われますか。
川﨑 ジーンズの老舗ブランドにリーバイスがありますが、165年前に創業して、アメリカのゴールドラッシュの時の作業着として人気を博し、そこから世代も人種も国境も越えて、今でも愛され続けている。本当にすごいですよね。
知花 愛され続けて165年ですもんね。
川崎 伝統、国境を越えても通じる世界観、保ち続けている品質基準がある一方で、時代とともに進化している部分もある。だからこそ愛されていると思うんです。
知花 確かにそうですね。
進化し続けるジーパン屋でありたい
川崎 私たちはジーンズの魅力を発信する企業になりたいということを会社のミッションとしてやっていて、たくさんのブランドさんの想いを背負っています。いろんなブランドさんの良さをしっかりと消費者にお伝えし、あるいは消費者のニーズをブランドさんにお伝えする役割を担い続けていきたい。ジーンズブランドも伝統を保ちながら進化しているので、ライトオンも同じように、お客さんに愛され続けられるように進化を遂げて、100年後もまた変わらず進化したジーパン屋であればいいなと思います。
知花 ジーパンは100年後もまだあるでしょうね。今まで160年以上あったんですから。
川﨑 ジーンズがある限り、ライトオンもある、というような存在でありたいなと思います。
会社情報
株式会社ライトオン