JOURNAL とは?

1996年、学生ベンチャー[エイベック研究所]としてインターネットの大海に船出したクオン株式会社。世界の誰もがつながりうる社会に「コミュニティ(多様で生き生きとした、高品位な双方向ネットワーク)」を実現すべく、目まぐるしい技術革新や経営環境の変化に対応しながら、今日まで航海を続けてきました。このJOURNALは、ソーシャルメディアの台頭に見られる「つながる時代」に、ネットワークのクオリティ(Quality Of Network)の追求が重要なテーマと考えて社名に冠した、クオンの代表 武田隆が、各種メディアでの対談を通じて多くの企業経営人やアカデミアなどの識者から得た「学び」を掲載した「クオンの航海日誌」であると同時に、今もなお多くの人々にとって“気づき”につながる示唆を含んだ「知の議事録」でもあります。JOURNALの2本の柱「企業の遺伝子」「対談:ソーシャルメディア進化論」に通底する、事物の「量」では計りきれないその多様な内容に向かう眼差しが、インターネット時代を生きる皆様の羅針盤になれば幸いです。

企業の遺伝子とは?

全国に546万社以上あると言われる日本の企業。そのそれぞれに理念、使命、時代を超えて受け継がれる個性があります。2012年から続くラジオ番組「企業の遺伝子」は、成長する企業の遺伝子の解明をテーマに、企業の経営者や社員の方をゲストに迎え私たちの心を揺さぶる色とりどりの企業の生命のストーリーを語っていただいく番組です。こちらのアーカイブでは、その内容を記事として掲載しています。 さらに書籍化した『企業の遺伝子』も、年に一回発刊しています。
(「企業の遺伝子」プロジェクトの詳細はこちら

ヒット映画を生みだす「人の絆」

オフィスクレッシェンド

<ゲスト>代表取締役/CEO 長坂信人さん

※2018年収録

数多くの話題作を手掛ける映像制作プロダクション。
その裏にあるのは人との出会いと、チーム一丸の姿。
近年は、次世代の発掘・育成にも乗り出しています。

知花    オフィスクレッシェンドは『TRICK』『20世紀少年』『モテキ』『ROOKIES―卒業―』『人魚の眠る家』など、連続テレビドラマや映画でヒット作、話題作を連発している制作プロダクションです。堤幸彦監督、大根仁監督、平川雄一朗監督など、ヒットメーカーがたくさん所属されていますね。まずは、会社の成り立ちから教えていただけますか?

長坂    もともとは、秋元康さんが代表を務められていたSOLD OUTという会社でお世話になっていましたが、秋元さんに自走しろと言われまして、一九九四年一月にオフィスクレッシェンドを設立しました。

知花    どういうお仕事をされているのか、教えていただけますか?

長坂    基本的には映像制作をしています。テレビ局や映画の配給会社、最近はネット配信会社から発注を受けて、自社で制作した作品を納品しています。

知花    監督さんが所属していらっしゃるということは、マネジメントもなさっているということですか?

長坂    そうです。監督が所属している制作会社というのは少ないので、一般的な制作会社よりも大所帯になっています。

ロスでの秋元康さんとの出会い

知花    驚いたのが、長坂さんは元医大生で、お医者さまになるご予定だったとか。

長坂    実家が病院だったんです。父が外科医で、いったん私立の医大に入学したのですが、まったく向いていないとわかりまして(笑)。実は、高校1年の時にロサンゼルスに短期留学をさせてもらったんですが、ロスにハマってしまって、いずれここに戻ってきたいという思いがあったんですね。それで親に拝み倒しまして、南カリフォルニア大学の国際関係学部に留学しました。夢を探しに憧れのアメリカに行ったという感じです。

知花    そのロサンゼルスで秋元康さんと出会われたのですか。

長坂    同じ大学に通う日本人の友だちのお姉さんが、あるプロダクションの社長婦人だったんです。そのご夫婦がロサンゼルスに来て、おいしいものを食べさせてくれるということでついていったら、そこに秋元さんが一緒にいらっしゃって。一九八二年頃ですね。

知花    運命を変えるご縁だったわけですね。

長坂    そうですね。秋元さんは当時放送作家で、作詞を始められた頃だったと思うんですが、意気投合して、仲良くしていただくようになりました。年に1、2回はロサンゼルスに遊びに来られて、一緒にマイケル・ジャクソンや、マドンナのコンサートを見に行ったりしていたんですよ。そんなふうにして3、4年たった頃、『夕やけニャンニャン』という番組が始まって、時代の寵児みたいな人になられちゃって。

知花    その頃なんですね。

長坂    1988年頃、秋元さんがオフ・ブロードウェイでミュージカルをやりたいと、ニューヨークに現地法人を設立されて参加しないかと声をかけていただき、僕もすぐには日本に帰りたくなかったので、ニューヨークに行ってお会いしたら、そのまま、そこで働くことになって。

NYで、いきなりプロデューサーに

知花    大学でそのような勉強をされていたわけではないのですよね?

長坂    ええ、もちろん。秋元さんに何をやりたいかと聞かれたのですが、逆に「何ができそうですか?」と質問してしまったくらい。そしたら、英語ができるからプロデューサーでいいかと言われて。

知花    ざっくりした人事ですね(笑)。

長坂    プロデューサーの仕事がどんなものなのかさえ知らなかったですから。秋元さんから教えていただいたことはただ一つ、「プロデューサーは、知らない、わからないとだけは言うな。クライアントから一番頼られる立場なのだから、毅然としていなさい」ということでした。その後、企画が方向転換して映画を撮ることになったのですが、オノ・ヨーコさん主演の『ホームレス』という映画が、僕の最初の仕事になりました。監督は堤だったんですよ。

ドラマ『TRICK』は大赤字だった⁉

知花    長坂さんは今、人気監督や、プロデューサー、作家さんなど約60名を束ねてらっしゃるんですよね。設立から25年の中で、転機となる出来事はありましたか?

長坂    2000年に、テレビドラマの『TRICK』という新しいシリーズを、堤の演出で始めることになって。

知花    人気シリーズですね。

長坂    当時は金曜23時の「金曜ナイト」という枠で放映されていたのですが、現場プロデューサーに任せきりで、僕は他の番組を担当していてあまりタッチしていなかったんです。番組が終わったときに決算書をチェックしたら……、びっくりしてアゴが外れるかと思いました。

知花    聞くのが怖い……。

長坂    マイナスが3000万円近くあったんです。僕らの仕事は、みなさんが思われるほど利益率は高くないんですね。制作費の10%から一五%くらいが利益で残れば妥当かなというところ。スタッフを信頼してましたし、まさかそんなことが起こるわけがないと勝手に思っていたので、真っ青になりました(笑)

知花    どうしてそこまでの赤字になってしまったんでしょう。

長坂    スタジオで撮るドラマは天候にも左右されずさほどのリスクはないんです。でも、『TRICK』は全編ロケだったんですね。さらに、連続ドラマと いいつつ一話完結のオムニバスドラマだったので、撮影場所は毎回違うし ゲスト出演者も変わるわけで、予算がどんどん膨らんでいってしまった。

武田    皆さん、クオリティも求めていくでしょうからね。

長坂    その通りです。監督はアイデアマンだし、プロデューサーも作品を良くしたいという気持ちがあって、だからこそ盲点だったというか。ただ、赤字というのは認めざるを得ない大きな事実でしたが、作品はとても秀逸だったんです。もちろん、おもしろければ赤字でも構わないというわけにはいかないので、チェック機能をしっかり持たなければいけないと肝に命じました。

武田  『TRICK』第一シリーズ、見返してみます。

長坂    僕が青くなってる顔を想像しながらご覧ください(笑)

時々刻々、初心忘るべからず、謙虚たれ

知花    オフィスクレッシェンドには個性的な監督がたくさんいらっしゃいますが、うまく関係性をつくっていく秘訣というのはありますか?

長坂    やはり、その作品に対する愛情や、いかに良い作品にしたいかということについて、同じ方向にベクトルが向いている必要があります。単純に予算がないからできないというのでは信用されない。プロデューサーも代案を持っていなければいけないと思いますね。

武田    立場は違うけれど、一緒にいいものをつくる仲間だということですね。

長坂    そうですね。プロデューサーと監督がうまくいかないと、現場もギクシャクしてしまいます。

知花    長坂さんは、秋元康さんをはじめ多くの先輩方からいろいろなことを学んできたそうですが、特に影響を受けた人物を、秋元さん以外で挙げるとすればどなたでしょうか?

長坂    古舘伊知郎さんの事務所の佐藤孝会長ですね。大尊敬させていただいています。強面でものすごく怖くて、その裏返しはものすごく優しい方なんです。僕も制作会社の社長という立場なので、そうそう怒られることはないのですが、佐藤会長には頭ごなしに怒られるんです。怒られる理由は首尾一貫していて「ホウ・レン・ソウ」。

クオン株式会社のPR動画撮影をする堤真一監督。別室から現場に指示を送り、その場で編集も行っていた。

武田    報告・連絡・相談ですね

長坂    はい。それを怠ると「なんで相談がないの」「もっと慎重にできないの」と怒られる。佐藤会長はマネジメントのプロ中のプロの方なので、「基本のキ」にはすごく厳しいですね。でも、そうやって厳しい言葉をいただけるのは、すごくありがたいことだと思っています。佐藤会長の僕に対する愛情だと捉えています。

知花    印象的だった言葉はありますか?

長坂  「時々刻々、初心忘るべからず、謙虚たれ」。これ、佐藤会長の座右の銘なんです。自分 は一人で生きているわけじゃないのだから、世の中のすべてのものに感謝しなければいけないと、ずっと言われ続けてきましたね。たしかに、自分の人生を振り返ってみると、その言葉がすごく当てはまるんです。秋元さんもそうですが、たくさんの方々の協力や支援があったからこそ、作品を作ることができたし、会社としても成長することができたのだと実感しています。

知花    一人ではできないことがたくさんある。映像制作は特にチームが大事ですもんね。

長坂    それから、こんなことも言われましたね。経営者たるもの、朝出社したら、スタッフの顔色を見るだけで彼らの状況を判断できるくらいでなければいけないと。そのためには日頃からの声かけが大切だと言われて。だから、スタッフには折に触れて声をかけるようにしています。ちょっと恥ずかしいので、「パトロールに来た」なんて言ってね。

知花    照れ隠しですね(笑)。

一番大切にすべきは「人」

長坂    会社を始めて15年ぐらいは、スタッフに対してすごく厳しい対応をしていました。佐藤会長に憧れていた部分も大きかったのかな。でも、10年ぐらい前から怒るのをやめたんですね。そもそも自分が言ったことの100%を相手に理解してもらうことはできないという前提に立って、セルフディフェンスの視点をもって接するほうがいいかなと考えたんです。

武田    注意をしなくなってからの生産性はいかがですか?

長坂    いいですよ。大きなリスクヘッジになっていると思います。失敗したことに対して怒っているだけでは、何も次に進んでいかないですからね。以前、AP(アシスタントプロデューサー)が失敗したときに、その上司である プロデューサーを呼んでAPの前ですごく怒ったことがあるんですよ。自分がやってしまったことに対してプロデューサーが怒られているということをAPにわかってほしくて。

知花    社長はビジネスを回すだけでなく、対人関係の作り方や人の育て方についても留意していかなくてはいけないから大変ですね。

    いやぁ、人ですね。会社は人だと、つくづく思います。特に僕らの仕事はその側面が強い。映画やドラマって正解がないから、ある種ギャンブルみたいなところがあるじゃな いですか。この作品は絶対に面白いしみんなで楽しく作れるだろうと思って制作しても、当たるとは限らないわけで。

武田    当たっても赤字になるときもありますしね(笑)。

長坂    その通りです(笑)。常に結果を出すことが求められるのですが、動いているのは人なわけで、一番大切にしなくてはいけないのは人だと思っています。

コンテストで若手にチャンスを

知花    次世代の若手の才能を発掘する活動も始められたそうですね。

長坂    一昨年から「未完成映画予告編大賞 MI―CAN」という映像コンテストを開催しています。完成していない映画の三分間の予告編映像を審査し、グランプリ作品は、うちのスタッフがサポートして3000万円くらいの規模で本編を制作するというものです。

知花    すごいですね!

長坂    これまでいろいろな方々に支えられてここまできましたので、恩返しではありませんが、次世代のクリエイターを育てることも大切な使命かなと思っています。一般の方々には映画を撮るチャンスってなかなかないじゃないですか。

武田    映像を撮るにはお金がかかりますし、夢があってもなかなか難しい。

長坂    僕らがそういう次世代の才能を見つけて、スタートをつくってあげたいと思ったんです。タイトルには必ず地名を入れるというのが条件で、地域振興にもつながっていけばいいなと。脚本家の岡田惠和さんや映画プロデューサーの川村元気さんなどにも審査員をやっていただいています。

知花    ぜいたくなコンテストですね!

長坂    初回は300近い応募があって、最終候補に残ったのは30作品ほど。ちょっとびっくりするくらい面白い作品がありました。うちの堤や大根たちも審査員をやっているんですが、堤なんて「こういう芽は早く摘んでおかなきゃいけない」と言っていましたよ(笑)。

武田    初回にして、優れた作品が集まったんですね。

長坂    そうなんです。「未完成映画予告編大賞 MI-CAN」のホームページに「クリエイターズバンク」をつくって、応募者の作品(予告編)を自由に見ていただけるようになっています。それがいろいろな人の目にとまって、次のステップが踏めるような状況ができればいいなと思っています。

武田 夢のプラットフォームですね。会社は人だとおっしゃっていましたが、アーティストの方々をマネジメントするのはなかなかに難しいことだと想像します。でも、人が育っていけば、人が人を育ててくれるという構図につながりそうですね。

AIより、人の感性を信じる

知花 最後に、100年後、オフィスクレッシェンドはどんな会社になっているでしょう?

長坂 100年後……まったく想像できないですね。映画館はどうなっているんでしょうね。もしかしたら、映画を見るのも全部がパーソナルなものの中で済まされるような時代になっているかもしれない。ただ、僕らはものをつくるときの人の感性を信じています。仮にAIロボットが映像作品を作れたとしても、ディレクターが追求している細かい描写は絶対にできない。会社名の「クレッシェンド」は音楽用語で「徐々に強く」という意味なので、ぜひこれからも徐々に拡大してほしい。ディクレッシェンドにならないようにしたいですね(笑)

会社情報
株式会社オフィスクレッシェンド