みんなが幸せになるためのデザイン
株式会社ライトパブリシティ
<ゲスト>代表取締役社長 杉山恒太郎さん
※2023年 収録
名だたるクリエイターを輩出した老舗のデザイン・ファーム。コロナ禍にはオフィスを構える銀座でキャンペーンを指揮してデザインの力で街を元気に、人々の心に灯りをともしました。
知花 ライトパブリシティは創立74年の広告デザイン制作専門会社。銀座にオフィスを構え、細谷巌さん、秋山晶さん、和田誠さん、鳥居邦彦さんなど業界の錚々たるレジェンドを多数輩出している名門のデザイン会社です。武田さん、ご存知でしたか?
武田 篠山紀信さんやホンマタカシさんもライトパブリシティのご出身ですよね。
杉山 そうですね。「写真のライト」と呼ばれていた時期もあって、高名なカメラマンも多く在籍していました。
知花 創業は1951年。どのような経緯で設立されたのでしょうか。
杉山 日本の「報道写真の父」「デザインの父」と言われる名取洋之助という方がいました。アメリカのグラフ雑誌『LIFE』と契約した初めての日本人です。ドイツに遊学していた名取さんは、外国から見ても恥ずかしくない雑誌を出したいとの願いから、帰国後日本工房という会社を設立。そこに合流した信田富夫が、日本工房の流れを汲んで創業したのがライトパブリシティです。
デザイン史に残る東京オリンピックのポスター
知花 ほかの広告制作会社とライトパブリシティは何が違うのでしょうか。
杉山 ライトパブリシティは基本的にはデザイン会社です。デザインというのは、言葉であり、図案であり、写真であり、映像であり、それらを使ったコミュニケーション設計そのものです。多くの人は広告の中にデザインがあると思っているけれど、実はデザインの中に広告がある。テレビコマーシャルもつくるし、インターネットの動画やアニメーションもつくりますし、近年は企業全体のブランディングが主な仕事となっています。
知花 1964年の東京オリンピックポスターを手がけていらっしゃるんですね。
杉山 アジアで初めてのオリンピックで、戦後、日本が再び国際舞台にデビューするための重要なジャパンプレゼンテーションの機会でもありました。世界から「すごい!」と認められる要素として財力や武力以上に、最も大切なのはアトラクティブネス、つまり〝魅力〞なんです。「日本ってかっこいい国なんだぜ、どうだ!」とアピールするのにデザインは重要な役割を果たすと考えました。
知花 私たちの手元にポスターのコピーがありますが、すごいお写真ですね。
杉山 陸上選手の100メートル走スタートダッシュの写真を使っています。ライトパブリシティに在籍していた写真家、早崎治とアシスタント2名で200枚ほど撮影した中の奇跡の1枚で、選手全員が写っています。バックが黒というのも斬新ですよね。深夜に20台ものストロボを使って撮影したそうです。写真もエンブレムも非常に美しい。これは巨匠、亀倉雄策のデザインです。
武田 洗練されていて、今見ても色褪せていない。当時としては少しとんがっているというか、新鮮な感覚だったのではありませんか。
杉山 ものすごく新しかったと思います。全体のディレクションはライトパブリシティの設立メンバーでもある村越襄。日本で初めてフォトディレクターという職業を確立した人で、村越さんがいたからこのポスターが実現できたとも言われています。当時は写真という先端のメディアを扱える人がそんなにいなかった。オリンピック史上初めて写真を使ったポスターです。それまでは、すべてイラストでした。
武田 ライトパブリシティは、当時最先端の技術だった写真を駆使するテクノロジー集団でもあったわけですね。
ビデオを使った初のCM「ピッカピカの1年生」
知花 杉山さんは1948年東京生まれ。立教大学経済学部をご卒業後、電通に入社され、クリエーティブディレクション局に所属されて、90年代にはカンヌ国際広告祭審査員を3度務めていらっしゃいます。電通取締役常務執行役員を経て、2012年にライトパブリシティに移籍されました。これまでのキャリアの中で、思い出深い出来事を教えていただけますか。
杉山 まだ20代の頃に制作した小学館の学習雑誌「ピッカピカの1年生」というテレビCMは、今でも鮮明に覚えている仕事です。
知花 なつかしい! あのフレーズ、みんな口ずさんでいましたよね。
武田 日本のコピーライティングの歴史を語るうえで欠かせない名コピーです。
知花 「ピッカピカの」で、小さい「ッ」が入るのはどうしてですか。
杉山 先輩の助言から生まれたのですが、もともと僕はラジオコマーシャルのCMを書いていた〝電波ライター〞なので音に敏感なんです。「ピッカピカ」と「ピカピカ」はだいぶ違うでしょう? 「ッ」を入れることでリズムが生まれ、より人の心に残るコピーになったんじゃないかな。
知花 CMに登場する子どもたちも印象的でしたね。
杉山 小学校入学を目前に控えてドキドキわくわくしている子どもたちの表情を、生中継のように届けたいと思って。ドキュメンタリー的な要素をコマーシャルに持ち込もうと、「日本で初めてビデオを使った広告」なんです。素朴な子供たちのコマーシャルということで大ヒットしたんだけれど、実は最先端テクノロジーが生んだCMなんです。
武田 杉山さんが手がけられたCMではサントリーローヤルも印象深いです。
杉山 はい、ランボーですね。若気の至りです (笑)。
武田 今なお広告業界で語り継がれる大傑作です。
ライバルはコピーライターではなく作詞家
知花 セブン‐イレブンのCMも手がけていらっしゃるんですよね。
杉山 セブン‐イレブンの10店舗目のオープンを記念してラジオCMの依頼を受けました。
知花 私は沖縄に住んでいたのでセブン- イレブンのことを知らずに育ちましたが、それでも「セブン‐イレブン いい気分♪」のフレーズは知っています。これはどうやって生まれたのですか。
杉山 アメリカのセブン‐イレブンが、サウンドロゴで “Thank heaven forSeven-Eleven” と歌っていたんですよ。
武田 韻を踏んでる。
杉山 ブンに引っ掛けて、ブンブンブンがいいんじゃないかと。
武田 話題になるコピーにはストーリーがありますね。この音のコピーは電波ライターの真骨頂といったところでしょうか。
杉山 僕の頭の奥には、「伊東に行くならハ・ト・ヤ」とか「カステラ一番、電話は二番」とか、〝コマソン〞(コマーシャルソング)が山のように入っているんです。それをあえて先端のロックバンドのザ・ハプニングス・フォーに歌ってもらうなど、伝統に新しい文脈を乗せて成り立っているのかもしれません。新聞や雑誌に書かれている文学的なコピーに比べたら、僕のコピーは〝あっけらかん〞としすぎかも。でも歌うと負けないでしょう?(笑)
知花 耳に残ります。
杉山 誰がライバルかと考えると、紙に書くコピーライターではなく声に乗せる作詞家の方かもしれないな。字面だけ見たら単純な日本語なのに、メロディーが乗っかったり誰かが歌ったりすることで、ものすごく悲しい気持ちになったりするでしょう? コミュニケーションにおいて、音や音声ってものすごく重要なんです。
「いきなり線を引くな、色を塗るな。考えろ」
知花 杉山さんは2012年にライトパブリシティに移籍されて、2015年から代表取締役社長でいらっしゃいます。ライトパブリシティの強みとは何でしょうか。
杉山 圧倒的な歴史と実績を持っていることは、誇れる財産だと思っています。歴史や伝統ってお金では買えないでしょう? 広告やデザインの世界は新しいものを是とする風潮があるけれど、軽々と時流に乗ると間違ってしまい、自分たちを失う危険性がある。若い人たちにはそんな警鐘を鳴らすこともあります。
武田 ライトパブリシティは広告代理店を通さないお仕事が多いようですね。
杉山 ええ。クライアントと直に仕事をしていることも強みの一つかもしれません。クライアントと対話しながら手づくりで進め、信頼を積み上げていきます。いい関係を構築できるので、一度お付き合いをすると長いんですよ。実はいわゆる広告代理店的な営業さんはいなくて、少数精鋭でやっているのも私たちの変わらないビジネススタイルです。ドイツ(ワイマール共和国)の美術学校、バウハウスの校長が“Less is more”(少ないことは、より豊かなことだ)という言葉を残しているんですよ。ご存知ですか?
武田 ミース・ファン・デル・ローエ。近代建築の三大巨匠の1人ですね。
杉山 そうです。ライトパブリシティには“Less is more” という思想が根付いています。少数精鋭ということだけでなく、無駄のないデザイン、無駄のないコピー。それがライトパブリシティの世界観です。
知花 杉山さんご自身は、デザインするうえでどんなことを大切にされていますか。
杉山 デザインというのは、目的があってこそ。我々のようなデザイン集団だと美大出身のスタッフが多いのですが、みんなすぐに線を引くし、色を塗るんだよね。
知花 ダメなんですか?
杉山 線を引いたり色を塗ったりするのは手段であって、本来ならその先に目的がある。すぐに手を動かす人は、線を引くことや色を塗ることが最終目的だと思っているんです。マーケティング用語でエンパシー、共感という言葉があるけれど、エンパシーを手に入れるために表現するわけだから、僕は「いきなり線を引くな、色を塗るな。考えろ」と言うんです。デザイナーに限らずあらゆる職業にも言えることだけど、手段が目的化してしまうのは、みんなが陥る隘路(あいろ)。目的と手段を間違えるなと言い続けています。
知花 目的をきちんと意識するにはどうしたらいいのでしょう。
杉山 表現するという意味では広告もアートと同じかもしれないけれど、唯一違うのは、広告は表現であると同時にビジネスであるということです。お金儲けのためだけにやっているわけではありませんが、ビジネスのために線を引いたり色を塗ったりしていることを忘れてはいけない。広告を「目的芸術」という人もいますが、表現者であるがゆえに、わりと勘違いしてしまうポイントなんですよね。
1964年東京オリンピックのポスター。陸上選手のスタートダッシュの写真を使った斬新なデザインは今も多くの人の記憶に残っている。
誰かのための行動が自分を幸せにする
知花 今、ライトパブリシティが力を入れているのはどんなことでしょうか。
杉山 「広告」から「公告」へと意識を広げて、パブリックの意識を持ちながらコミュニケーションを円滑にする一助となりたいと考えています。こうした意識を持つことで、ライトパブリシティの歴史と伝統はつながっていくのではないかと。
武田 今は多くの企業が社会貢献に取り組んでいますが、デザインを通してできることがあるということですね。
杉山 職業上の能力を活かして社会に貢献する活動を「プロボノ」といいますが、常にプロボノ的センスを頭のどこかに置いていたいと思っています。そうでないと、仕事そのものが楽しいと思えなくなってしまう。だって、3年前のことを思い出してみてください。
知花 新型コロナウイルスですね。
杉山 そう。ライトパブリシティがある銀座の街は住んでいる人がほぼいないので、ほとんどゴーストタウンと化していました。数寄屋橋の交差点に僕しかいないこともあったくらい。それで、70年もお世話になっている銀座に何か貢献できることはないかと考えた時に、自分たちが持っている財産はデザインなのだと気づきました。そこで思いついたのが、デザインの無償提供です。
知花 無償で?
杉山 そうです。例えば、テイクアウトの写真や手書きのメニューも、ライトパブリシティが手がければ、もっとおいしそうに、もっと素敵なデザインになるはず。デザインの力を知ってもらう絶好の機会にもなるだろうと考えました。
知花 実際にはどのようなことを行われたのですか。
杉山 ライトパブリシティが発起人となって「新しい銀座」をPRするためのアクションを起こしました。まずスタートしたのが「おかえり銀座」キャンペーン。このコピー一行とオリジナルのロゴをあしらったのれんやポスターを銀座のあちこちに展開して、再訪してくれたお客様に感謝の気持ちを伝えました。
知花 それは素敵ですね。
杉山 銀座って、いざという時にはこうやって団結できるんだと外に示すことができた。それに何より、当社の若いスタッフが嬉々として作業にあたっている様子を見て感動しましたね。誰かのために何かをする利他の精神は、大きな幸福感をもたらすものなのだと実感しました。プロボノを通して若い人たちが、一回りも二回りも大きく成長していく姿は感動的でした。
武田 まさに職能で人に貢献するプロボノそのものの活動ですね。
杉山 挑戦して良かったと思いますね。やっぱり、人が喜ぶ顔を目の前で見られるのは何より素晴らしい。広告やデザインはメディアを通して人に喜びを伝えるもので、直接伝えるものではないじゃない? 目の前で笑顔が見られるのは幸福だし、生きることの勇気を与えてくれる。
クリエイティブの仕事はなくならない
知花 では、最後の質問です。いつも、その企業の100年後について伺っているのですが、今回は武田さんからのリクエストで、少し内容を変更します。100年後、日本のデザイン、広告を含めたクリエイティブはどうなっていると思いますか。
杉山 世の中が複雑化して、世界中で地球規模の問題が起きているなか、今ほどクリエイティブが必要な時代はありません。生成AIの進展によって「仕事が奪われる」などと煽られているけれど、これからはもっと本質的な「人ができること」は何かが鮮明になるはずです。その時に重要となるのが人間の想像力。そして、想像力を具現化するのがクリエイティブです。だから、クリエイティブの仕事はなくなりようがない。だって、人が幸せになるために、あるいは人の心をより自由にするために存在するものなのだから。
知花 それは生成AIには難しいことですか。
杉山 生成AIはむしろ僕たちの心を自由にする味方にはなってくれると思う。でも、人の心の動きをロジカルに理解するわけだから、「なーんちゃって」と突然バカなことを言うとChatGPTが黙っちゃう、なんていう話もありますよね。
武田 むしろAIの世界になればなるほど、人間のクリエイティブが必要になってくる。
杉山 そう思います。でも、このへんでやめておこうかな。僕は高邁で偉そうに聞こえるのが死ぬほど嫌いなんだ。
知花 おお。この終わり方、生成AIにはできないですね。
杉山 うん、できないでしょうね (笑)。
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杉山恒太郎(すぎやま・こうたろう)
1948年東京生まれ。立教大学卒業後、電通入社、クリエーティブ局配属。90年代にカンヌ国際広告祭審査員を3度務める。電通取締役常務執行役員等を経て、2012年ライトパブリシティへ移籍、15年代表取締役社長就任。伝統的なクリエイティブとデジタルの両方に精通する稀有なクリエイター。主な作品に小学館「ピッカピカの一年生」、サントリー「ランボー」、AC公共広告機構「WATER MAN」など。国内外受賞多数。18年ACC第7回クリエイターズ殿堂入り、22年「全広連日本宣伝賞・山名賞」を受賞。