瀧本哲史

東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科助手を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。独立後は、企業再生やエンジェル投資家として活動しながら、京都大学で教育、研究、産官学連携活動に従事。全日本ディベート連盟代表理事、全国教室ディベート連盟常任理事なども務める。1999年〜2019年、社外取締役や株主としてクオン株式会社を支援。

著書紹介

  • 『ミライの授業』講談社(2016)
  • 『読書は格闘技』集英社(2016)
  • 『戦略がすべて』新潮社(2015)
  • 『君に友だちはいらない』講談社(2013)
  • 『武器としての交渉思考』講談社(2012)
  • 『僕は君たちに武器を配りたい』講談社(2011)
  • 『武器としての決断思考』講談社(2011)

論文

  • 「影響力の4つの特徴とリスク 人を動かすのに友だちはいらない」DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2014)

クオン武田との対談

瀧本哲史は、私たちに何を届けてくれたのか。

瀧本は、戦略こそが重要だと言い続けた。勝つための戦略を立案するには、考え抜くことが必要で、それは徹底して悲観的に考えることなのだと教えた。最悪の事態を想定しておけば、やってくる現実に対して対応しやすい。

瀧本の戦略会議は苛烈であった。瀧本の論理の強さは圧倒的であったが、より有効な代案が示されると、それが自身の主張の対極案であっても、あっけらかんと切り替えた。その議論の進行速度に皆、目がくらんだ。

勝利に向けてこだわりなく、より合理的なものを躊躇(ちゅうちょ)なく選択するという姿勢は一貫していた。それゆえ、瀧本は、気分や雰囲気というものを嫌った。また、常識や不文律や多数決も受け付けなかった。むしろ、その逆張りにこそ勝機があるとして、「なぜか理由は分からないがなんとなく正しそう」といったものに対し、容赦なく論理の刃先を向けた。

瀧本のベンチャー経営戦略論の特徴は、そのモデルがはっきりと提示されていないところにある。戦略は、あくまで勝利のための手段であり、条件によっていくらでも変化するものであったからなのか。はたまた、戦場で起こる真剣勝負の瞬間の、個別の現実にこそ本質をみようとしたからなのか。戦地において有効な名言が散逸的にそれぞれ記憶されているものの、その生涯を通して、全てに適応可能な戦略モデルを作ることはなかった。

いつか「SWOT分析と3C分析のどちらがより優れているだろうか?」という議論を振ったとき、「そんなものは、いつどこで使うかで、薬にも毒にもなる。重要なイシューではない。」と一笑に付されたことがあった。

また瀧本は、机上において透徹した戦略を立案する軍師でありながら、とりわけ、ベンチャー企業のゲリラ前線への同行を望んだ。ベンチャー経営の一寸先は闇である。想定外のトラブルもあれば突然の裏切りもある。枯渇する資源の中での進軍は、全滅倒産の崖っぷちが常であるし、生き残るためには、屡々、身の丈以上の投資が求められる。

結果はいつも不確実であるし、「努力は報われる」という優しさを現実は持ち合わせていない。そんなシリアスな戦略会議の卓上で、瀧本がよく発した言葉がある。

「起こったことは全て正しい」

環境の要因にせよ、誰かの責任にせよ、結果は変わらないし、どうせ時間は戻せない。諦めずに戦う選択を取るならば、起きた現実を「塞翁が馬」と捉えることは、たしかに前向きで合理的だ。戦略が続行される限りにおいて、今は極大に感じるダメージも、おかげで良くなったと思えるときが訪れる可能性が残る。

この言葉には発生の条件がなかった。もうダメだ…と絶望のふちにいるとき、悔しさや寂しさに打ちひしがれているとき、軍師は横に立ち、必ずこの言葉を発した。そして、すぐに次の戦略の立案と実行を促した。瀧本にとっては、今ここに描かれるべき戦略、それが「最善であるか?」という問いだけが重要であった。この態度は、自身の最後の瞬間に至るまで徹底された。

過酷な闘病の間、「なんで俺が…」や「悔しい…」などといった類の愚痴は、ただの一度も聞くことはなかった。命日となったその日も、瀧本は瀧本のままであった。

「ありがとう」と言えばきっと泣き崩れて、何かが終わってしまう気がした。そうだ。君にとっても、君と育てた会社にとっても、起こったことは全て正しい。硬くなった瀧本の腕に手を置く。私も私たちの会社の航海も続く。「一緒に行くぞ。」と伝えた。

瀧本は、多くの学生や読者にそれぞれに生きる価値を見いだす方法論を「武器」として渡した。また、投資先の起業家たちには妥協なき理想の「君主論」を説いた。起業家を愛し、その周りに集まる仲間たちとの間に生まれるドラマを愛し、それらを話すときは人目をはばからずよく泣いた。

いつか瀧本の古巣のマッキンゼー・アンド・カンパニーについて聞いたとき、こんなことを言っていた。「創業者のジェームズ・O・マッキンゼーの一番の功績というのはね。早く死んだことにあるんだよ。それで、その後の連中がマッキンゼーならこう考えただろうとか、こう言ったはずだとか、いろいろ考えているうちに会社の骨格が強くなったんだ」

瀧本と会ったり、著書に触れたりした者はみな、ひとりひとりが彼の戦略上に期待された「武器」ということになろう。瀧本の命は途絶えたが、彼の戦略が止まったわけではないからだ。

平成のマキャベリー。戦友。瀧本哲史君の冥福を祈って。

代表取締役 兼 最高経営責任者 武田 隆