JOURNAL とは?

1996年、学生ベンチャー[エイベック研究所]としてインターネットの大海に船出したクオン株式会社。世界の誰もがつながりうる社会に「コミュニティ(多様で生き生きとした、高品位な双方向ネットワーク)」を実現すべく、目まぐるしい技術革新や経営環境の変化に対応しながら、今日まで航海を続けてきました。このJOURNALは、ソーシャルメディアの台頭に見られる「つながる時代」に、ネットワークのクオリティ(Quality Of Network)の追求が重要なテーマと考えて社名に冠した、クオンの代表 武田隆が、各種メディアでの対談を通じて多くの企業経営人やアカデミアなどの識者から得た「学び」を掲載した「クオンの航海日誌」であると同時に、今もなお多くの人々にとって“気づき”につながる示唆を含んだ「知の議事録」でもあります。JOURNALの2本の柱「企業の遺伝子」「対談:ソーシャルメディア進化論」に通底する、事物の「量」では計りきれないその多様な内容に向かう眼差しが、インターネット時代を生きる皆様の羅針盤になれば幸いです。

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企業の遺伝子とは?

全国に546万社以上あると言われる日本の企業。そのそれぞれに理念、使命、時代を超えて受け継がれる個性があります。2012年から続くラジオ番組「企業の遺伝子」は、成長する企業の遺伝子の解明をテーマに、企業の経営者や社員の方をゲストに迎え私たちの心を揺さぶる色とりどりの企業の生命のストーリーを語っていただいく番組です。こちらのアーカイブでは、その内容を記事として掲載しています。 さらに書籍化した『企業の遺伝子』も、年に一回発刊しています。
(「企業の遺伝子」プロジェクトの詳細はこちら

月賦商から若者を応援する企業へ

丸井グループ

<ゲスト>常務執行役員 アニメ事業担当 瀧元俊和さん※2021年3月に同社を退職

※2019年 収録

月賦の丸井からクレジットの丸井へ。裏通りから表通りへ。
「信用はお客さまと共につくるもの」を胸に、時代の変化に合わせてビジネスモデルを革新。社会課題にも本気で取り組みます。

知花 丸井さんといえば華やかなファッションビルが思い浮かびますが、まずは会社の成り立ちを教えていただけますか?

瀧元 当社の創業は1931年、2021年には創業90周年を迎えます。創業者は今の社長のお祖父さんにあたる、青井忠治という人でした。

武田 丸井さんではなくて、青井さんなんですね。

瀧元 はい。青井は若い頃、「丸二商会」という家具の月賦商に奉公しておりまして、二六歳の時に暖簾分けをしてもらって独立しました。その際に、丸二商会の「丸」と、自分の苗字の「井」を取って、商号を「丸井」としたのが始まりです。

小売りと金融のハイブリッド業態

知花 月賦商って、どんなご商売なのですか?

瀧元 クレジットと申し上げれば、なじみがあると思います。

知花 クレジットのことなんですか!

瀧元 月賦による商いは、昔、伊予の行商人たちが高価な漆器や陶器を売ったことが起源と言われています。お客さまとの信頼関係のなかで次第に分割払いで高額商品を売るようになったのが始まりのようです。

武田 信頼できるお客さんには、高額商品は月賦でOKということですね。

瀧元 はい。お客さまが購入した商品の代金をお店が立て替え、それを毎月少しずつご返済いただく仕組みです。小売店と金融業者を兼ねる商売です。

知花 創業者の青井忠治さんは、どんな方だったのですか?

瀧元 非常に真面目な人だったそうです。毎朝早く出勤して掃除をする。わからないことは、どんどん聞く。商売の基本も進んで先輩に教えを請うなど、とても勉強熱心でした。

知花 若いのに立派ですね。

瀧元 熱心さが認められて、24歳の時には丸二商会の中野支店長に抜てきされています。独立後、東京都中野区に丸井の本店を開いたのも、その時からのご縁かもしれません。

知花 今も会社に残る、青井さんの名言がおありだとか。

瀧元 「信用はお客さまと共につくるもの」という創業者の言葉が、当社のモットーとして受け継がれています。月賦による商いでは、良い商品をよくご覧いただき、納得した上で買っていただくことが大切です。お客さまとの信用関係をつくり、末永く円滑にお支払いをいただくのです。

武田 月賦販売という業態の本質を表す、シンプルかつパワフルな言葉ですね。月賦はうまく利用すれば、お客さんは高価な商品も無理なく買えるし、店側も売り上げを伸ばすことができますよね。一方で、無計画に利用してしまうと月々の支払いが膨らんで、返済が滞るおそれもある。

瀧元 お客さんと店が二人三脚で築いていくのがクレジット(信用)なんです。

月賦のイメージを覆して大きく飛躍

知花 90年の歴史の中で、会社の躍進につながった出来事としてはどのようなことがありましたか?

瀧元 クレジットという言葉を日本で初めて使ったのが、青井忠治の子息である二代目社長(現名誉会長)の忠雄氏だと聞いています。彼が一九六〇年に、「月賦の丸井」というそれまでのキャッチフレーズを「クレジットの丸井」に変えました。

武田 きっと新鮮でおしゃれな響きだったでしょうね。

瀧元 画期的でした。同時に、日本初のクレジットカードも発行したんです。

武田 クレジットカードは、それまでなかったんですね。

瀧元 はい、今から60年前ですから。その頃は、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ という「三種の神器」が人々の憧れでしたが、一般庶民がこれを一括払い で買うのは大変でした。そこを月賦で買っていただけるようにしたことで、当社の業績は大きく伸びました。

知花 高嶺の花でも、月賦なら手が届くということですね。

瀧元 三種の神器が広く社会に行き渡ると、次はカー、クーラー、カラーテレビという「3C」の時代になりますが、これもまた月賦でどんどん売れていきました。生活が豊かになるにつれ、人々はさらに豊かな暮らしを月賦で手に入れ、丸井グループの業績も伸びていったのです。私が入社した頃などは、何十期も増収増益の勢いでした。

武田 うなぎ上りですね。

瀧元 一方で、70年代くらいまでは月賦販売のお店は裏通りにひっそりと店舗を構えているのが一般的でした。

武田 当時は、月賦でモノを買うのは恥ずかしいという感覚があったのでしょうか。お客さんがこっそり入れるように、目立たない場所にお店を出していたんですね。

瀧元 ですが、丸井は違いました。新宿などの表通り沿いに大きな店舗をオープンし、次々と拡大しました。クレジットという言葉とともにメインストリートに進出した丸井の存在が、月賦のイメージを変え、お客さまの支持を得ていったのです。

武田 日陰の存在と思われていた月賦を、堂々と表舞台に引き上げたんですね。おかげで若い世代も臆することなく、月賦で買い物ができるようになった。

家具・家電からファッションへの転換

知花 丸井さんが、ぐんぐん成長していた60年代から70年代には、どういった商品を販売していたのですか?

瀧元 家具や家電など、単価の高い商品が中心でした。ニューファミリーと呼ばれていた世代が主なターゲット層で、当時は高度成長期でもあったので、こういった商品がよく売れました。

知花 ニューファミリーというのは、何でしょうか?

瀧元 戦後ベビーブーム世代を中心とした、当時の若い家族です。友だち夫婦とか核家族とかと呼ばれて、従来の日本の家族像とは異なる新しい価値観を持った人たちでした。多摩などのベッドタウンに大きなマンションや住宅が続々とでき、そこに移り住んできた彼らのライフスタイルやニーズの成長にともなって、家具・家電の売り上げが伸びたのです。

知花 おもしろい。でも家電や家具って、一度揃えてしまうと当分は買いませんよね。

瀧元 はい。80年代に入る頃には、家具や家電は前ほど売れなくなっていました。月賦制小売店の多くが商売をやめ、店も畳んで、金融業に転身していったのもこの頃でした。

知花 その低迷期を、丸井さんはどう乗り越えたのですか?

瀧元 若者向けファッションへ業態を転換しました。特にスーツなどは若い方が一括払いで買うのは大変ですが、クレジットを使うと身近になり喜んでいただきました。やがてDCブランドブームが到来し、若者の支持を得た丸井は、再び増収が続く時代を迎えます。

武田 月賦というかたちで応援してきた若い世代に、今度は救われたのですね。

瀧元 本当にその通りです。同時に、あの時思い切ってヤングファッションにシフトできたのは、時流に応じた革新を厭わない丸井のDNAのおかげでもありました。

「集金」から学んだこと

知花 瀧元さんは新人時代に、創業者の青井さんと同じように集金担当も経験されたそうですね。どんなお仕事だったのですか?

瀧元 正確には回収担当と言います。月賦販売では、お買い上げ商品の代金を毎月いくら返済いただくという契約をお客さまと結びますが、支払いが滞るケースが出てくると担当者が個別に回収に伺うのです。私も毎日バイクに乗って、集金をしておりました。

知花 めちゃめちゃシビアそうですね。やってみたご感想はどうでしたか?

瀧元 それはもう大変でした。買い物に来られる時には、皆さんきちんとされているのですが、集金に行くと「え、ここに住んでいるの?」と面食らうようなこともありました。

知花 いろいろな事情がありますものね。

瀧元 この経験を通じて、月賦という形態では高額な商品をむやみに売り込むのは良くない、ということを学びました。何よりも後でお客さまが困るし、会社にとっても、集金が大変になって、良いことではありません。だからこそ、お客さまに合った与信をする、無理のないクレジット額をご提供することが大切なのです。
1962 年、業界最大(当時)の新宿店をオープン。丸井創業者の青井忠治氏。

左/ 1962 年、業界最大(当時)の新宿店をオープン。右/丸井創業者の青井忠治氏。月賦販売に新たな光を当て日本に定着させた。

1960 年、日本初のクレジットカードを発行。人気アニメ・コンテンツとのコラボでエポスカードも業績好調。ファンコミュニティサイト「チョアコミュ」。

左上/1960 年、日本初のクレジットカードを発行。この時はまだハウスカードだった。
左下/人気アニメ・コンテンツとのコラボでエポスカードも業績好調。©2021 San-X Co., Ltd. All Rights Reserved.
右/K-POP・韓国カルチャーファンに向けたファンコミュニティサイト「チョアコミュ」。丸井グループとクオンが共同で2020 年8月にオープン。

人生初のクレジットカードを若者に

知花 その後はどんなお仕事をされましたか?

瀧元 入社して一年後には紳士スーツの売り場に配属されました。時はまさにバブルで、7、8万円のスーツが飛ぶように若い方に売れました。会社の業績も絶好調で、91年に叩き出した最高益は今なお破られていません。

知花 すごい! でも、最高益ということは……?

瀧元 はい、その後すぐにバブルが崩壊します。高額ファッションも不振となり、92年以降の売り上げは前年マイナスばかり。お給料も増えない時代が、90年代後半まで続きました。

知花 わあ、どこかで巻き返さないと。

瀧元 そこで、原点に戻ろうということになりました。丸井の原点は、お客さまとの間に信用関係を築いて、良い品を月賦で販売することです。そうして新しいクレジットカードのプロジェクトがスタートし、私は2003年に、「エポスカード」の立ち上げ事務局を担当することになりました。

知花 クレジットカードですか。

瀧元 当時すでに大手のクレジットカードが、たくさん出回っていました。けれど多くは比較的お金がある人々のステイタスで、丸井のメインターゲットである若い方は、なかなか発行してもらえませんでした。私たちはそういう方々にカードを発行して、一緒に信用をつくっていこうと考えました。

武田 それまでの丸井カードは、丸井だけで使えるハウスカードだったんですね。

瀧元 そうです。従来のハウスカードの使いやすさにVISAブランドの汎用性をプラスした新カード「エポスカード」を、2006年に発行しました。人生で初めてつくるクレジットカードとして、若いお客さまを中心に喜んでいただきました。

知花 ここでも若い人たちや、収入が限られた人たちを応援しちゃう。これが、丸井さんのDNAなんですね。

瀧元 そうですね。以来、エポスカードのお客さま会員は順調に増え、カードのご利用自体も増えて、次第に業績が回復して今に至っております。

「これからの社会」と「今のニーズ」を見据える

知花 丸井グループが、現在特に力を入れてらっしゃることは何ですか?

瀧元 2019年に、現・青井社長を中心に「VISION BOOK 2050」をつくり、2050年に丸井はどうありたいかをまとめました。役員から若手社員までが一年かけ て議論をし、当社のステークホルダーには、将来の世代も含めることに決めました。

知花 どういうことでしょうか?

瀧元 丸井のステークホルダーは、お客さま、株主や投資家、お取引先、社員、そして地域社会ですが、さらに将来世代を加えたんです。将来世代を含めて、すべてのステークホルダーが利益を得て、みんなが幸せになることを目指します。誰も置き去りにせず、すべての人が幸せな豊かな社会をつくっていきたい。それが丸井グループのビジョンです。

武田 SDGsだ。かつて月賦という業態を表舞台に引き上げたように、身近な社会課題に光を当てて本気で向き合う。そういう姿勢が、丸井さんの流儀なんですね。

瀧元 ありがとうございます。将来世代をステークホルダーに加えたことで、みんなが非常に関心を持って環境問題などに取り組むようになりました。

知花 具体的には、どういったことが進んでいるんですか?

瀧元 一つはエネルギー対策で、丸井グループが使用する電力を2030年までに、すべて再エネ由来のものにすることを目指しています。加えて、「みんなで再エネ」というプロジェクトも始めました。

知花 みんなで再エネ?

瀧元 一般の皆さんにも、広く再エネ電力を使っていただく取り組みです。エポスカードのサイトにアクセスし、専用アプリで電気の検針票の写真を撮って送るだけで、再エネ電力の利用申し込みができる仕組みです。

知花 すごく簡単にできるんですね。ほかにも何かありますか?

瀧元 「アイカサ」という、傘のシェアリングサービスを手がけるベンチャー企業へ出資しています。必要な時に出先でシェア用の傘を借りることで、ビニール傘の使い捨てを減らす取り組みです。このように新しいアイデアを持つ環境ベンチャーの皆さんと協力できればと思い、共創という視点で投資を行っています。

知花 瀧元さんは現在アニメ事業も担当していらっしゃるそうですが、丸井とアニメ事業は、どうつながるんですか?

瀧元 お客さまの志向はどんどん変わるので、今はファッションへの関心も昔ほど高くありません。「若い方たちが今欲しいものは何だろう」と考えて出会ったのがアニメでした。

武田 丸井さんはずっとみんなが「今」欲しいものを買えるように努めてこられたので、次にアニメ関連分野に着目されたのは自然な流れかもしれないですね。

瀧元 私がアニメ事業の担当になって、三年目くらいです。映画の製作委員会参加など事業投資から始めて、今ではご縁がつながり、アニメのイベントなども各店で行っています。

知花 楽しそうですね。

瀧元 アニメ・コンテンツとコラボしたエポスカードも好評です。「銀魂」「テニスの王子様」「すみっコぐらし」、あるいはゲームのカプコンさんとコラボしたデザインなどがあります。今後アニメ事業が本業のブースターになれば、という気持ちで取り組んでいます。

知花 お客さまのニーズに合わせてどんどん変革していくんですね。それでは最後の質問です。100年後の未来には、丸井グループはどんな会社になっていると思いますか?

瀧元 「すべての人が〝しあわせ〞を感じられるインクルーシブで豊かな社会を共に創る」と いう当社のビジョンに共鳴して、毎年、新社員が入社してきます。彼らは私たち以上に、高い意識を持つ人たちです。100年後、そんな若い人たちが、社会課題を解決するための事業を、たくさん立ち上げているのではないでしょうか。未来社会に向けて、会社自体も生き生きと貢献する存在であってほしい、そう願っています。

会社情報
株式会社丸井グループ

ゲスト

瀧元俊和(たきもと・としかず)

1982年株式会社丸井(現丸井グループ)入社。店舗での接客販売や経営企画、新規事業、カード、システム担当等を経験。カード事業の再構築では担当責任者として、ハウスカードから汎用カードへの転換を主導し、エポスカードの立ち上げに貢献。その後、株式会社エポスカード常務取締役・取締役社長として、ゴールドカードの導入をはじめとしたさまざまな施策でカード事業の成長を促進。2009年に株式会社丸井グループ執行役員、2015年常務執行役員。フィンテック事業責任者・小売事業責任者を経て、アニメ事業を担当(番組収録時)。2021年3月退社。